日々のこと

ルールはなんのためにあるのか

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

さっき、こんなツイートをしました。

今日はこの話を少し。

新しい現象に対する、既存のルールによる批判

 

場所を選ばない働き方が本格的な実現に向かっている昨今、暮らし方や家族のあり方が改めて見直されています。

暮らす場所を限定しない「アドレスホッパー」もそうだし、血縁関係のない人同士が集まって暮らす「シェアハウス」なんかもそう。

「シェアハウス」はもはや現実的な選択肢として広く一般化しつつあるけど、対象年齢を広げこれからもう一つステージをあげると思う。

 

そんな新しい働き方、暮らし方、あるいは家族のあり方が提唱された時、決まって出てくるのが、既存のルールの引用による批判です。

「金融的な視点で言えば信用面でマイナスになる。」

「それは結婚していないからこそできる暮らし方。」

とか。

 

でもなんというか、そういった新しいあり方の提案に対して、今までのあり方に乗っ取ったルールを引用して批判だけをするのは、本当に意味がないなと思っています。

ルールはなんのためにあるのか

 

そもそもルールとは、人が社会の中で快適に生きるためにあるものです。

基本的にルールは守るべきだし、ルール自体に意味がないとは全く思わない。

 

それでも僕は、ルール至上主義に陥ってはならないと思っています。

人が社会の中で快適に生きるための方法が変わるならば、その背景にあるルールだって変わっていくべきだと思う。

そうしないと、進化が止まる。

 

今のルールが未来の現象を決めるのではなく、今の現象が未来のルールを決めていくべきです。

ただの批判で終わらない

 

かといって、既存のルールによる批判が一概に悪いこと、間違ったことであるとも思いません。

正社員でないことや定まった住所がないことは、金融的な意味でマイナスになることは確かだし(それほど詳しいわけではないけど)、

結婚し家庭を持つことで、子供の学校や給与面で与条件が増えることもわかっている。

 

大事なのは、既存のルールに照らし合わせてどうしても都合のつかないことを、どう解決していくかを考えることだと思います。

あり方(働き方や暮らし方)を微調整するのかもしれないし、長いスパンでルールを変えていくのかもしれないけど。

いずれにしても、より良い状態をつくるための仮説を単に批判するだけで終わったら、何も進歩がありません。

終わりに

 

以上です。

また来てね!

 

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