こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
ブログの毎日更新が、いよいよ10ヶ月半ほどになりました。
当初目標としていた1年まで、あと少し。
昨日こんなブログを書いた手前なんとも言いにくいんだけど、今日ふと、「書くのが億劫だな」と思いました。
参照:自分の成長を実感する最も簡単な方法は、日々の記録を付けること
一度はPCに向き合ったんだけど、一旦閉じて、布団でゴロゴロしたのち、今。
書くのが億劫に感じた理由
書くのが億劫だなと思った理由は、正直明確にはわかっていません。
気温が寒くて手がかじかんでいるからなのかもしれないし、もっとやりたいことがたくさんあるからかもしれないし、書きたいけど書けないこと(まだ書かない方がいいと思っていること)が溜まっているからかもしれない。
とにかく、書く気が全く起きませんでした
これは定期的に訪れる「ブログが書けない」状態とはまた別です。
参照:ブログが書けない
理由がわかっていないなりに、仮説を書きます。
「続けること」と「今日ブログを更新すること」
今までは、ゴールがもっと遠くにありました。
漠然と1年を意識していたからこそ、「あえて意味を考えない」ができた。
意味を考えず、ある種盲目的に、「続けること」自体を目的として扱えられていたなと思う。
でもいよいよ終わりが見えてきたことで、ここ何日かは、「1年連続更新ができたらそのあとはどうしようか」と考えるようになりました。
そのまま続けるかもしれないし、そこですっぱり辞めるかもしれないけど、何れにせよ、ブログを更新する意味と改めて向き合わざるを得なくなった。
多分僕は「続けること」には意義を見出せていたけど、「今日ブログを更新すること」に対しては、それほど意義を見出せていなかったんだろうと思います。
強烈な書きたいことがある時はいいんです。
でも強烈な書きたいことがない時に、なんとなくで書いたブログを世に送り出すのは、なんで?
愛がないから億劫になる
しばらく前に、誰が書いていたかは忘れてしまったけど、「愛がないから億劫になる」という趣旨の文章を読んだことがあります。
愛がないから片手間になって、愛がないから”こなして”しまう。
ブログを始めた当初は、貯金も少しはあったし、これといったやりたいこともありませんでした。
要は、時間が腐る程あった。
でも今は、飯を食うための仕事をもっとしないといけないし、やりたいこともたくさんあります。
愛が分散しているから、「今日ブログを更新すること」の意味がわからないままだと、多分もう保たない。
きっと本当の意味で学びがあるのは、この辺りからなんだろうと思います。
今の自分にとって、200点のブログはどんなだろう。
終わりに
以上です。
またきてね!
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