こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
昨日、こんなツイートをしました。
自分がコントロールできるのは伝え方までで、他者への伝わり方はコントロールできない。伝わり方にどうこういうのはナンセンスで、それをやってしまうと相手の感性を否定することになると思う。感情を言葉にした時点でそれは別物になるから、本当の感情は決して可視化されない。
— 木津 歩|居候男子@酒屋 (@ayumukizu) 2018年12月2日
今日は、この話を少し。
伝わり方はコントロールできない
最近つくづく思うのが、「伝わり方はコントロールできない」ということ。
自分がコントロールできるのは”伝え方”までであって、それが相手にどう伝わるか(≒伝わり方)については、自分がコントロールできる部分ではないなと思います。
コントロールできる部分ではないし、コントロールしようとする部分ではないと思う。
どう伝わるかは、相手の領域であるから。
「伝わり方が違うな」と感じる時
誰かに自分のことを伝えようとした時に、「あれ、伝わり方が違うな」と感じることがあります。
ブログやツイートに感想を添えてシェアしてもらう時もそうだし、対面で話をしている時もそう。
本来自分が伝えようとした内容と、実際相手に伝わっている内容との間に、いくらかの開きがある。
誤解を恐れずいうならば、100パーセント正確に自分の意図が相手に伝わるということはまずありません。
自分のことを自分以外の人が語ろうとすれば、多かれ少なかれ開きは生じる。
伝え方の精度をあげて発信し続ける
届く人が増えるにつれて、手厳しい指摘をいただいてしまう機会も増えたような気がします。
的確な指摘としてきちんと咀嚼しないといけないものもあれば、単に誤解をされてしまっているだけで、ちゃんと話せばわかってもらえるだろうなと思うものもある。
でも、何も言わない。
“伝わり方”はその人の歴史の上に成り立っていて、不用意にそれを誤解と決めつけてしまうのは、その人の培ってきた感性を否定することになる気がするから。
そして何より、根本の原因は僕の”伝え方”の未熟さにあります。
自分がコントロールできるのはあくまで”伝え方”の部分だから、そこの精度を高めていく努力をするしかない。
伝え方の精度を高めて発信し続ければ、”伝わり方”の精度もおのずと上がってくるはずです。
終わりに
以上です。
今日の岡山は雨です。
「晴れの国」岡山は僕がきてからずっと良い天気だったので、雨具を持ってきていないことに今朝気づきました。
「晴れの国」岡山に来てから初の雨です。
雨具を持ってきていないことに今気付いた。#居候男子岡山 pic.twitter.com/Q4iIYg4x4u
— 木津 歩|居候男子@酒屋 (@ayumukizu) 2018年12月2日
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