こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
僕も28歳にもなると、人に何かを教える機会がちょこちょこあります。
自分が知っている内容、あるいはやったことがある内容について、それを経験したことがない人に教える機会。
そんな時気をつけているのが、以下の2つです。
「自分のできることに自覚的であること」と、「教える意識でいる時間を短くすること」。
自分のできることに自覚的であること
「自分のできることに自覚的であること」については、前に一度書いたことがあります。
僕は多分、人に何かを教えることが得意ではありません。
それは伝達能力にコンプレックスを感じているという話ではなく、「自分はできて相手はできない」という前提のもと、何かを伝えることにすごく抵抗がある。
その前提で話をすると、どうしても相手から何かを学ぼうという意識を失ってしまうからです。
高慢に見えるし、学びもないし、ロクなことがない。
それでも人に何かを教えようという場面では、「自分はできて相手はできない」という前提を一旦受け入れないと、話が始まりません。
教える意識でいる時間を短くすること
もう一つ気をつけているのが、「教える意識でいる時間を短くすること」。
ここでいう”教える意識でいる時間”とはつまり、「自分はできて相手はできない」という前提を受け入れている時間のことです。
誰かに何かを教える機会を持って初めて気づいたんだけど、誰かに何かを教える時間は、どちらかというと”気持ちの良い時間”です。
自分の考えを100%相手が聞き入れてくれるので、話せば話すほど、話したいことが増えてくる。
でもこれは、自分の過去の功績を人に話す時間に似ていて、多分あまり美しいものではないのだろうなと感じています。
教える時間は、とにかく短く。
伝えるべきことを端的にわかりやすく伝えて、求められていない補足はしない。
終わりに
以上です。
と、ここまで書いて思ったんだけど、僕が人から何かを教えてもらう時は、補足が多ければ多いほど嬉しいです。
最近でいうと、陸前高田で漁師の方々から聞いた話は、話が脇道に逸れれば逸れるほど面白かった。
牡蠣の水揚げから戻ってきた、ダニムハ漁師たち。#ダニムハ岩手 pic.twitter.com/u931hg5FTY
— Hisako Miura / 漁業女子 (@neripiko) 2019年4月12日
とりあえず僕は今のところ、”何かを教えている自分”のことをどうしても好きになれないので、今日書いたようなことを考えています。
また来てね!
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