日々のこと

僕が定期的に「適当に書く」をやるようにしている理由

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

今日は適当に書きます。

適当にと、いうか、思ったことを思った順番に書く。

参照:思ったことを思った順番に書く意味

備忘録としてのブログの2つの書き方

 

備忘録としてのブログには、2つの書き方があると思っています。

「ちゃんと書く」

 

1つは、自分の頭の中にある伝えたいことを、整理して書く方法。

伝えたいことは明確にあるがまだ上手く話せない状態で、一度文章という形に落とし込むことで、言いたいことが整理されいつでも話せる状態になります。

僕がブログを書いているもっとも大きな理由の一つは、これかなと思う。

 

ちなみに、僕が「ちゃんと書く」と呼んでいるのはこの書き方です。

「適当に書く」

 

もう一つは、言いたいことが特にない状態で、とりあえずPCの前に座ってキーボードを叩いてみる方法。

何も策がない状態で、何が溢れてくるかを記録する。

参照:伝えたいことよりも、湧き上がることに目を向ける

 

書き出しは大体、「適当に書く」とか「書くことがない」とかになります。

書く内容が思い浮かぶ前にキーボードを叩き始めるから、当然そうなる。

僕が「適当に書く」と呼んでいるのはこの書き方で、今もこれをやっています。

逃げの一手だった「適当に書く」

 

少し前までの僕にとって、「適当に書く」は逃げの一手でした。

落としどころを定めないまま書き始めるから無駄な言葉が増えるし、最後まで呼んでも何が言いたいのかわからないこともある。

何も思い浮かばない時にだけ、やむなく「適当に書く」に逃げていました。

参照:手を抜くところを見極める

 

でも最近は、月に数回は意図的に「適当に書く」を挟むようにしています。

少し考えて「ちゃんと書く」ができないなと思ったら、早い段階で「適当に書く」を案に加える。

「適当に書く」の意義

 

ちなみにこの辺りで、落とし所がなんとなく見えてきます。

ここまでだらだらと書いてきた文章を振り返って、見出しの設定や改行の位置決めをする。

「溢れてきたもの」に骨格を通して、「伝えたいこと」に変換する。

 

「適当に書く」の意義を感じるようになったのは、ここ2ヶ月くらいの話です。

定期的に「適当に書く」を挟んだ方が、いろんなことが上手くいくことに気づいた。

読まれている意識から解放される

 

適当に書くことの意義の一つは、読まれている意識から解放されることです。

人に読まれているという意識を持つことは、文章を読みやすく整えるという意味では確かに大事。

でもそこに偏り過ぎると、他者軸で書くことしかできなくなります。

参照:時々自分からコケておくこと

 

誰も自分に興味がないことを体感レベルで理解しておくことは、とても重要なことだと思う。

参照:twitterに疲れたら、人は自分に興味がないことを思い出そう

本当は今何を書きたいのかがわかる

 

「読まれている意識からの解放」とも近い話だけど、純粋な自分の書きたいことがわかります。

なんの縛りがない時に、何が溢れ出てくるか。

これは昨日書いた、「自分らしさからの脱却」とも近い話です。

参照:自分に飽きてきたら、「拡げる読書」をしよう。オススメ書籍も紹介

何より楽しい

 

あとは、なんだかんだ「適当に書く」のは楽しいです。

仕事のメールはもちろん、昨今ではSNSだってあんまり適当なことは書けない。

でも、思いついたことを思いついたままタイピングしていくのってそもそも面白いんですよね。

参照:適当に書くのが一番楽しい

終わりに

 

以上です。

今日は「適当に書く」から入って「ちゃんと書く」に移行したパターンです。

特別人にオススメしたいことでもないけど、「適当に書く」は結構いいです。

「適当に書く」に意義を見いだせていなかったら、僕はブログを嫌いになっていただろうなと思う。

またきてね!

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