こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
「僕と〇〇」と題したいくつかの記事は、僕が個人的に仲良くしている友人を紹介する、ある種のシリーズものみたいなやつです。
参照:僕としみ
参照:僕とぼりさん
参照:僕とルイス
今日は、昨年の10月に結成した『hyphen,』というチームで一緒に活動している、佐田さん(@mst727)のことを書きます。
参照:【ふたたび、暮らしを考える】雑誌「hyphen,」の創刊号を届けたい!
特に何かキッカケがあったわけではないけど、ふと思い立ったから書く。
チームを作りたいと思ったキッカケ

hyphen,を結成した直後、僕と佐田さんをどちらも知っている人からよく受けたのが、
「どうして佐田さんとチームを組むことになったの?」
という質問です。
確かに、この質問が出てくる気持ちはなんとなくわかる。
例えばhyphen,のメンバーの一人である土田(@Ryotsuchida)とは、高校時代からの付き合いです。
この数年間で、一緒にシェアハウスで生活していたり、『SUSONO』というコミュニティに入ったり、『ダニエルとムハンマド』というコンテンツを作ったりもしていたので、僕と土田がチームを組むということは、なんら不自然な話ではないだろうと思います。
参照:ダニエルとムハンマドって?ダニムハ各回の解説と始めたきっかけ、やり残したこととか【前編】
でも僕と佐田さんは、チームを組む前の段階で、特別仲良くしていたわけではありません。
株式会社Wasei代表の鳥井さん(@hirofumi21 )からお声かけいただいた『waseisalon』というコミュニティで、偶然一緒になっただけ。
いってしまえば今だって、休みの日に二人で飲みに行くようなことはありません。
だからこれは意外に思われるかもしれないけど、僕が「チームを作りたい」と考うようになった直接のキッカケは、佐田さんと出会ったことにあります。
それまでは、プロジェクトベースで誰かと組みたいという気持ちはあっても、継続的なチームを作りたいという気持ちは正直あまりなかった。
ある時佐田さんと電話で話している時に、「チームを作るならまず佐田さんに声をかけよう」と思ったことを、今でもよく覚えています。
(「今でも」といっても、せいぜい8ヶ月くらい前の話だけど。)
僕と佐田さんが出会う前のこと
先に述べた『waseisalon』で一緒になった僕と佐田さんは、ツイッター経由でちょこちょこ絡むようになりました。
彼が運営しているブログ『TOKIORI』の記事も、結構読んだ。
多分佐田さんにとってそれほど特別な記事ではないと思うんだけど、僕が特に印象に残っているのが、こちらの記事です。
外部リンク:自分が饒舌になりはじめたときこそ、頭の片隅に「?」を置いておくこと。
以下に一部引用します。
自分が饒舌になっているときほど、自分のことを信じて疑わないし、それが正解だと思い込んでしまう。その思考が成長を止めてしまってるのかもしれないなと思ったんです。
シンプルに、いいなと思いました。
というか、自分と似ているなと思った。
自分のありたい姿と、佐田さんのありたい姿とが、とても似ているなと。
実はこの記事を読んだ少し後に、僕と佐田さんは初めて顔を合わせる約束をしていました。
だから僕はこの記事を読んで、「きっと僕と佐田さんはよっぽどタイプが似ているんだろうな」と思って、会うのがますます楽しみになりました。
僕と佐田さんが出会った時のこと
そして、僕と佐田さんが初めて顔を合わせた当日。
途中他の『waseisalon』メンバーと合流しつつ、昼飯を食べたり、表参道を散歩したり、カフェにいったり、すき家にいったりしました。
東急プラザで #waseisalon してる。 pic.twitter.com/EqpFWahpPL
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年7月25日
お昼から散歩。#waseisalon の人たちにやっと会えた! pic.twitter.com/zByB4amhDt
— サタマサト|TOKIORI (@mst727) 2018年7月25日
とても楽しかった一方で、この日もっとも印象に残っているのは、「僕と佐田さんはタイプが全然違う」と思ったことです。
根底にあるありたい姿は似ているけども、そこに至るアプローチとして表面に出てくる部分が、面白いくらいに違った。
言葉の位置付けも、人との距離の取り方も。
なんなら同じところを探すことの方が難しいくらい、違った。
それは佐田さんとチームを組もうと思った時も、実際チームを組んでいる今も、感覚はそんなに変わりません。
でも、そこがいいなと思っている。
共感と信頼
僕が佐田さんに対して感じている特異な部分は、「共感できなくても全幅の信頼を寄せられる」ということです。
僕にとってそういう位置付けの他人は、今のところ佐田さん以外にはいません。
タイプが違えば、チームとして物事を進める中で意見が割れることももちろんあります。
時には、「どうも伝えたいことが上手く伝わらないな」と思うことだってある。
でも僕は、佐田さんと意見が割れた時に関しては、「僕の見えていないものがあるんだろうな」とかなり早い段階で思います。
僕の見えているルートとはまた別に、僕が見えていないルート(しかも懇切丁寧に説明されても理解しきれないルート)があって、そこはそこでゴールに繋がっているんだろうと思う。
なぜなら佐田さんは、その場をうまく収めるためのそれっぽい言葉を使うような人ではないからです。
「自分の見えていないものがある。」
そう思った上で、僕は自分の意見を通したいと思います。
自分の意見を通そうとしても、佐田さんなら大丈夫だろうと思う。
(もちろんそれは、時間をかけてそう思うようになったという話でもあるけども。)
「気が合う」だとか「共感できる」だとか、そういうわかりやすい部分とはまた別軸で、佐田さんのありたい姿、あるいはその背景にある美意識を信用し、信頼を寄せています。
これは僕が前に書いた、「人に興味がない」とは正反対の話です。
終わりに
以上です。
ここからは蛇足。
昨日、こんなツイートをしました。
愛を伝えやすい人と愛を伝えにくい人とがいるので、愛を伝えられていないからといって、愛していないわけではないんだよなと思う。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年5月6日
これ、かなり抽象化したために「愛していないわけではない」とか言っちゃってちょっとあれなんですが、概ね佐田さんの話です。
僕が仲良くしている人は、感情を表に出す人が多いです。
思ったことを思ったままに口に出して、受け取り方を相手に委ねる人。
土田もそうだし、ルイス(@rutty07z)やぼりさん(@borilog)もそう。
お互いの心理的な距離感を常に把握できているので、愛を伝えやすい。
一方佐田さんは、感情をそのまま表には出さない人です。
口に出す言葉の責任を認識していて、思ったことを口に出すまでにタイムラグがある(と、僕は思っている)。
心理的な距離感を把握できている時ばかりではないから、愛を伝えにくい。
というか、「いきなりどうしたんですか」とかいわれると思う。
でも、愛を伝えやすいか伝えにくいかなんて、結局主語はこっちにある話だよなと思います。
感情を表に出すことでしかコミュニケーションをとれない国の人間が、そうじゃないコミュニケーションをしてどうすんだと、昨日死ぬほど体調を崩して寝込んでいる時にふと思い、今日の記事を書きました。
またきてね!
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