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「体験の純度」と「発信の鮮度」、そして「編集の精度」

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

昨日、こんな記事を書きました。

参照:体験の純度を高めること

以下に一部引用します。

「体験の純度」を高めるべきか、「発信の鮮度」を高めるべきかというのは、意外と難しい問題であるなと思います。

どちらかを高めれば、どちらかが下がる。

 

これは自分の中でもまだ答えが出ていないので、また別の機会に書くことにします。

 

自分の中で一つ答えが出た、とまでは言わないけど、今の時点で考えていることを一旦外に出しておくことにしました。

「体験の純度」を高めるのは大前提

 

「体験の純度」を高めるべきか、「発信の鮮度」を高めるべきか。

この問いに対する答えは、言うまでもなく前者です。

まずは、「体験の純度」を高めるべき。

体験に純度を伴わない発信は、単なる虚構でしかありません。

 

と言いつつも、意識しないと体験の最中にtwitterなど触ってしまって、「体験の純度」が下がるということは僕にもあります。

これは、気をつけないといけないところ。

まずは、「体験の純度」を高めること。

 

これを大前提とした上で、「発信の鮮度」を高めていく意識も絶対的に必要であると、最近は特に感じています。

「発信の鮮度」の時代がきている

 

というのも、今は「発信の鮮度」が重要視される時代であると思うからです。

youtubeやインスタストーリー、TikTokに人が流れているのも、それらが総じて「発信の鮮度」が高い媒体であるから。

体験から発信までの、タイムラグが少ない(ように感じやすい)。

 

「発信の鮮度」が高いということは、体験から発信までのギャップが少ないということです。

編集されきっていない(ように見える)ということ。

 

「発信の精度」が重要視されているのは、おそらくコミュニティの話や”当事者を増やす”という話とも同じです。

編集されたコンテンツよりも、編集されていないコンテンツを一緒に編集するという”体験”に価値が生まれている、はず。

 

かなり抽象度高く書いてしまっていますが、以前書いたこれらの記事とも近い内容なので、ご興味ある方はぜひ合わせて読んでみてください。

参照:共有するものが変わってきている成果物から過程、そして立案へ

参照:コミュニティの輪郭をぼかすということ

「編集の精度」は高すぎない方がいいのかもしれない

 

少し話は逸れるけど。

体験と発信の間には、編集のフェーズがあります。

体験したものを、より伝わりやすい発信となるよう編集すること。

 

体験のフェーズにおいては純度が求められていて、発信のフェーズにおいては鮮度が求められている。

編集のフェーズで求められているのは、おそらく精度です。

ただ、前の二つは高いほどいいと思うんだけど、もしかしたら「編集の精度」に関しては、高すぎないことが求められるのかもしれないなと、最近ぼんやり考えています。

終わりに

 

以上です。

 

今日はコミュニティスペース『second.』さんで行われるイベントと、地元の飲み会に参加します。

楽しみです。

 

また来てね!

 

この記事を気に入ってくれた方に読んでほしい記事

体験の純度を高めること

共有するものが変わってきている成果物から過程、そして立案へ

コミュニティの輪郭をぼかすということ

 

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