こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
さっき、こんなツイートをしました。
ピュアなコミュニケーションが出来る人はいいなと思う。自分のダサい部分やコアな欲求を、対面のコミュニケーションでさらけ出せる人はいいなと思う。とても、信用できる。
なんだかよくわからないけど泣きそうになりました。あざした。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年10月20日
少し前に、些細なことをきっかけに友人と喧嘩みたいなことをしました。
それからしばらく経った今日、彼と二人でその話をした。
その時のやりとりが僕にとってすごく良いものだったので、これについて少し書きます。
お互いモヤモヤしていた
正直にいうと、僕もここ数日モヤモヤとしていました。
モヤモヤとはしていたけど、彼とは別に短い付き合いではないし、あえて触れるようなことでもないのかなと思っていた。
モヤモヤとした気持ちに蓋をしたままでも今までと同じように付き合える自信はあったし、万一これをきっかけに疎遠になってしまったとしても、その時はその時でしょうがないのかなとも思っていました。
というか、今更疎遠になるような関係でもないだろうなと。
彼が今日僕に言ったのは、「ここ数日少しモヤモヤしていた」ということ。
「疎遠になったらなったでしょうがないけど、それはもったいないと思っている」ということ。
そして「あえて触れる必要もないけど、そういうモヤモヤした気持ちを話せない関係性ではないから話したかった」ということ。
それらはまさに僕が感じていたことで、そして僕が言えなかったことで、なんというか、すごくかっこいいなと思いました。
言いたくても言えないこと
彼が僕に言ったことは、僕が彼に言えなかったことです。
「あえて触れることでもない」なんていうのは単に僕がかっこつけていただけで、本当は言いたかった。
モヤモヤは早急に取り払ってしまいたかったし、「疎遠になってもしょうがない」なんてことも全く思っていませんでした。
それでも僕が彼にそれを言えなかったのは、多分変なプライドが邪魔をしたからです。
要は何が言いたいのかもまとまっていないまま、あえて二人で話す時間をつくるのがしんどかった。
言い方は悪いけど、面倒くさい気持ちもありました。
そのしんどさや面倒くささを誰よりも理解していたからこそ、彼がその話をしてくれたのが本当に嬉しかったし、彼には敵わないなと思いました。
ダサい部分を見せられる人
僕は、人は誰しもダサいと思っています。
禍々しくドロドロとしたダサい部分を、みんな少なからず持っている。
なんだけど、大人になるに連れてそういうダサい部分は見せにくくなるなと感じています。
ロジカルで納得感のある部分ばかりを表に出して、ダサい部分は裏に隠しておけるようになった。
だからこそ、ダサい部分をちゃんと見せられる人はかっこいいなと思います。
昨今のSNSでよく見られる”ダサいブランディング”なんかじゃなくて、正真正銘のダサい部分。
もっと感情的で、どうしようもない部分。
そういうところを見せられる人は、本当の意味で信用できます。
信用できるし、何より安心する。
終わりに
以上です。
今日彼から学んだのは、相手に対して、そして自分に対して誠実に言葉を選べば、いやでも自分のダサい部分は見えてしまうということ。
あえて見せるのではなく、見えてしまうんです。
“ピュアである”ということとも近い。
そして自分の納得感に忠実に生きていれば、納得感のない状態を人に見せてしまう場合があることも知りました。
これはとても大きな学びだった。
また来てね!
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