日々のこと

誰かと身内になることは「自分」の範囲を拡げること

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

こないだデートでした。

 

この日は結構いろいろ話しました。

自分にとって「好き」とは何か、誰かと身内になるとはどういうことか。

今までぼんやりとしか考えてこなかったことを、これでもかというほど考えた。

 

今日は、その覚書です。

参照:恋愛観と結婚観

「自分」の範囲を拡げること

 

先日、こんなツイートをしました。

 

このツイートに書いた通り、僕にとっての最優先事項は、「自分」が幸せであることです。

「自分」にまつわること全て、仕事も暮らしも人付き合いも、「自分」が幸せであるためのツール。

「自分」を不幸にしてまでやるべきことなんて、何一つないと思っています。

それがたとえ、世間一般の正しさから外れていたとしてもです。

 

誰かと身内になること(男女問わず、特別親密であること)は、「自分」の範囲を拡げること。

最優先事項である「自分の幸せ」の条件に、「その人が幸せであること」を加えること。

 

「自分」を不幸にしてまでやるべきことなんて、何一つないと思っています。

それがたとえ、世間一般の正しさから外れていたとしてもです。

無条件に「好き」であること

 

身内であることの条件は、その人のことを「好き」であること。

特別、「好き」であること。

 

「好き」であることの条件は、特にありません。

もちろん「好き」の入り口にはいろんな理由があるわけだけど、一旦「好き」になってしまえば、そこの条件は特にない。

「好き」であることの条件がないということはつまり、その人がこれからなにを思ってどう変わろうとも、変わらず「好き」であるということです。

 

なんでも気兼ねなく話して欲しいし、なにを話してくれても受け止める準備はできている。

でもその人が自発的に話してこないことについて、無理に聞き出したいとは思いません。

なにを話してくれても変わらず「好き」であるのと同じように、なにも話してくれなくても、変わらず「好き」であるからです。

 

より「自分」が幸せになる方を、自由に選べばいいと思っています。

 

「好き」であることが一番大事

 

だからこそ僕にとっては、前提にある「好き」であるという事実がとても重要です。

「好き」であるからなんでも気兼ねなく話せるし、「好き」であるから、なにも話さないという選択が取れる。

 

本来「好き」に確信を持つためには、ある程度まとまった時間が必要なのだと思います。

だから付き合いが短いうちは、「好き」の取り扱いが難しい。

 

僕が意識しているのは、「好き」を言葉で伝えること。

どんなに心の距離が近くても、個体としては別物です。神経は繋がっていない。

であれば、そこは言葉でフォローするしかないのかなと思っています。

「好き」の安売りになってしまうのは重々承知だけど、今のところ僕は、それ以上に効果的な方法を知りません。

終わりに

 

以上です。

 

このブログを書いていて思い出したのは、先日したこのツイートです。

このツイートについては、ブログも書きました。

参照:確かな納得感を持って中指を立てること

 

多分僕は、悔しかったわけでも同情していたわけでもなくて、本当は単に悲しかったんだと思います。

昔の自分を「好き」でいてくれた人が、今の自分を「好き」でなくなってしまったことを悟ったことが。

「好き」を伝えようとしても、うまく伝わらなかったことが。

そしてそれに伴い、自分の中の「好き」がゆっくり冷めていくのがわかったことが、すごく悲しかったんだと思います。

 

締めが重いね。

また来てね!

 

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恋愛観と結婚観

人に興味がない人間でありたい

確かな納得感を持って中指を立てること

 

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