こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
先日、こんなツイートをしました。
ブログの毎日更新を辞めてすぐに気づいたけど、定期的に自分の思考を外に出していかないと停滞する。一つ一つの思考が「過去のもの」にならなくて、思考が更新されていかない。この状況はとてもまずい。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) October 7, 2019
今日は、この話を少し。
書かないことの弊害について。
4ヶ月書いてない
ここ数ヶ月の間に知り合った方はご存知ないと思うのですが、今年の6月まで僕は、毎日ブログを書いていました。
「丸1年間毎日ブログを書く」という手段そのものを目的化して、毎日淡々と書いていた。
そして目的としていた丸1年間の更新を終えてからは、ピタッと更新を辞めました。
その直後にしたツイートがこれ。
小難しいことは全部ブログに書いてたんだけど、ブログ書かなくなるとツイッターにそれを書くことになるのかなぁ。とにかくまずは、「ブログを更新しない」をやってみる。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) June 6, 2019
上のツイートにあるように、ブログの更新をしなくなったのは、「ブログを更新しない」をやってみたかった、という意味合いもあります。
でもそれ以上に、「書けなかった」というのが大きい。
実際ブログの毎日更新を辞めた後、「更新再開します!」という旨の記事を書いたんだけど、2記事書いて終わりました。
参照:一旦出すこと
だって、書かない方が幸せだから。
訪れた先で出会った人とコミュニケーションする時間がちゃんと取れるし、
金銭的な余裕を持たせるための仕事をする時間も確保できる。
正直ブログを毎日更新していた最後の方は、時間もお金もなくてかなり消耗していました。
参考:愛がないから億劫になる
「書くこと」と「書かないこと」を天秤にかけた時、「書くこと」を勝たせることができませんでした。
そして、「書かないこと」を選んでいることへの後ろめたさや、やり切れなさも別になかった。
書かないことの3つの弊害
でも少し前から、「やっぱり書かないといけないな」と思うようになりました。
理由を3つほど書きます。
日常の解像度が下がる
まずひとつ目は、日常の解像度が下がってしまうこと。
「日常の解像度が下がってしまう」だなんていうと大袈裟だけど、要は、生活の中から「学び」や「気付き」が減った。
良い体験をたくさんしているはずなのに、アウトプットを強制していないから、それらの体験を「学び」や「気付き」に昇華させる機会を失っている。
日々の生活の中で学びがあったから書く。のではなく、「書くこと」をまず決めて、日常の中から学びを絞り出す。
誰かにとってのなんでもない日常が、「書くこと」を決めている人にとっては、学びに昇華させることのできる(あるいは、させなくてはならない)インプットである、ということなのではないかと思います。
現にこの4ヶ月は、記憶がやや薄いです。
思考が過去のものにならない
ふたつ目は、思考が過去のものにならないこと。
これもかなり抽象的な話になってしまうけど、書くということは、その時点での思考を過去のものにするということだと思っています。
頭の中にあるぼんやりとした思考を一旦外に出して、少し引いた視点から眺められる状態にすること。
引いた視点から眺められる状態になって初めて、自分で修正ができる。試行錯誤ができる。
毎日ブログを書いている中で気づいたのは、その時々一番ピュアな気持ちを書いていれば、必ず意見は変わっていくということ。
意見、とまではいかなくても、言葉の選び方やニュアンスは絶対に変わる。
むしろ同じ言葉を使ってしまうのは、一貫性にとらわれすぎているだけです。
最近なんとなく感じている停滞感は、自分の思考が更新されていないからだと思います。
数ヶ月前に考えていたことを、今も同じ視点で考えている。進歩がない。
停滞してる。ずっと置きにいってる。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) September 30, 2019
人は自分に興味がないことを忘れる
みっつ目は、人は自分に興味がないことを忘れるということ。
これ結構恥ずかしい話なんですが、日常的に書いてないと自意識が上がっちゃうんですよね。
「見られてる意識」が強くなって、読者を意識して書いてしまう。
以下は以前ツイートしたものですが、このツイートをした時点より、今の方がうまくいってないなと思います。
「人は自分に全く興味がない」っていうことを、僕は何年か前にようやく理解できたんだけど、これは多分人に教えられてわかるようなものではなく、一度高い自意識のもと発信し、勝手に消耗し、勝手に挫折しないとわからないものなんだろうなと思う。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) January 24, 2019
参考:twitterに疲れたら、人は自分に興味がないことを思い出そう
念の為補足しておくと、それが仕事としてのライティングであったり、マーケットを意識したコンテンツであるならば、受け手を意識しないとダメです。
でも僕がこのブログで書いている日記に関しては、読者に寄せすぎてはダメなんです。
わかりやすくするのはこの媒体ではないから、ここでは自分のわかりにくい部分(理解されにくい部分)をきちんと育てないといけない。
終わりに:しばらくは週1更新するよ
以上です。
そんな訳で、やっぱり書いてかないといけないなと思いました。
でもいきなり毎日更新とかしていったらまた前と同じように潰れるのは目に見えているので、しばし週1更新で走ってみる。
月曜夜とかでいきます(今日は火曜ですが)。
また来てね!