こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
今日は、僕が最近よく考える”界隈感”について書きます。
界隈感とは
「界隈感ってなんやねん」と思われるかもしれませんが、僕もふわっとしか定義してないです。
自分が所属していないコミュニティに対して外から感じる、「なんか楽しそうだな」という雰囲気です。
“グループ感”、”内輪感”なんかも同じような意味だと思います。
ふわっと理解してください。
界隈感を出したくない
で、とにかく僕はその”界隈感”というやつを出したくないのです。
「界隈感を出すなんてけしからん!」って話では全くなくて、むしろコミュニティは積極的に界隈感を出すべき。コミュニティは中にいる人の安心感を高めるためのものだと思っているので。
ただ単に、僕が個人的に出したくないという話です。
「界隈感」の扱いが難しい。
良いコミュニティは適切な「界隈感」を持つ。界隈感はコミュニティの居心地の良さであって、外から見た羨ましさであって、魅力。
一方で、魅力的な人は「界隈感」を消す。界隈感がないからこそ外から面白い話がどんどん入ってくるし、「一人」だからこそその人は魅力的。
— 木津 歩/アユムハンマド (@ayumukizu) 2018年4月22日
だから僕は、twitterの自分のタイムラインにはすごく気を遣っているつもりです。
僕はいくつかのコミュニティに同時に所属しているけど、ある一つのコミュニティについての話をしすぎないようにしています。界隈感が出るから。
とはいえこれは努力目標なので、なんだかんだしちゃってるかもしれません。そこは大目に見てください。
僕が界隈感を出したがらないのには、理由があります。
「木津が遠くにいってしまった気がする」
少し前の話です。
大学時代の親友が付き合っていた彼女と婚約したらしく、お祝いに二人で焼肉を食べに行きました。
久しぶりに会う親友とのサシ飲みは、それはそれはもう楽しくて、ビールがバカみたいに美味かった。BAKA。
いい具合にお酒が回ってきた頃、その親友が言いました。
「なんだか木津が遠くにいってしまった気がして寂しい。」
彼曰く、僕に新しい友達が増えて、彼が僕にとって身近な存在でなくなっていくように感じるのが寂しいのだそうです。
自分で書くとなんかアレだけど、確かそんなことを言っていた。
彼に悪意はもちろんないけど、僕はそれを聞いて目一杯寂しかったです。
これが”寂しい”というやつか、と思った。
僕は、一度心を繋いだ友達は一生ものだと思っています。
そいつがこれからどう変わろうと、僕がこれからどう変わろうと、そんなの全然興味ない。
もちろんお互い別々のことをしているわけだから、普段の関わり方は変わるかもしれません。
それでも久しぶり再会したら、いつだって一番の親友に戻れると思っています。
だからこそ、彼にそのように言われてしまったことが、すごく寂しかった。
付け入るスキを持っていたい
個人の放つ”界隈感”は、外側の人に対して壁をつくる。と思う。
壁ができるかできないかは相手側の捉え方の問題だから、こっち側ではコントロールしきれない。
それでも、壁をつくらない努力はしておきたい。いつでも一番の親友に戻れるように、付け入るスキを持っていたい。
僕が”居候”という言葉を気に入っているのも、そういう理由からなんだと思います。
終わりに
以上です。
ずっと書きたかったことが書けてわりと満足しています。これから昨日DIYした床の仕上がりを確認してきます。
#ぼりえっ邸 DIY部です。今日はニス塗り。 pic.twitter.com/os8qf7Iras
— 木津 歩/アユムハンマド (@ayumukizu) 2018年6月15日
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