こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
昨日、こんなブログを書きました。
読んでもらえればわかる通り、別に大したことは書いていないブログです。
ゆるゆると、思ったことを思った順番に書いた。
ただこういう、思ったことを思った順番に書くということに、何か意味があるんじゃないかなと思いました。
思ったことを思った順番に書く意味
これはそれなりに恥ずかしい話なんだけど、最近はtwitterにしてもブログにしても、自分にとって何か真新しいことを書こうとしているなと思います。
自分にとって真新しいことは、誰かに気づきを与える可能性もあるから、インターネット上にシェアしている。
日頃から「誰かに気づきを与えよう」と思っているわけではないけど、潜在的には、そういう欲求があるんだろうと思います。
「誰かに気づきを与えよう」なのか、「自分の承認欲求を満たしたい」なのかはわからないけど。
多分、どっちもあるんだろうなと思う。
厄介なのは、ここ何日かの僕が、自分にとって真新しいことを書くために、自分にとって真新しいことを探しているということ。
誰かに伝えたくて仕方がない発見を日常の中でできていないにも関わらず、あたかも何かを発見したかのごとく、文章を書く。
というか、絞り出している。
これは、どうなんだろう。
悪いことである気もするし、悪いことでないような気もする。
毎日ブログを書くことで、日常の中から新しい発見を絞り出すことができるようになった。
これは決して、悪いことではないと思う。
ただ以前にも書いた通り、自分が理想としているのは、「普通」の水準をあげることだ。
参照:当たり前の質を高めていく
自分にとって真新しくもなんともない「普通」の話が、誰かから見て面白いものであった方が良い。
というか、誰かから見て面白い話をしようとしない方が良い。
絞り出してくる何か面白いことではなく、もっと、ニュートラルな状態の面白さを追求したい。
そう考えると、昨日のように(あと今日もそう)、思ったことを思った順番に書くということは、意味があるのかもしれないなと思います。
思ったことを思った順番に書くだけで面白いことを書けるのが理想で、理想との距離感を図るという意味で、そういう回があってもいいんだろうなと思う。
終わりに
以上です。
やはり今の一番のフラストレーションは、移動ができていないことだなと思います。
新しい暮らしが始まる前の、あの独特の高揚感を思い出せない。
旅が暮らしに変わる直前の、あの独特の気だるさを思い出せない。
風のないところで、凧をあげようとしている感じ。
2月の中頃から、また移動生活が始まります。楽しみ。
また来てね!
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