こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
少し前に、こんなツイートをしました。
めちゃくちゃわかる。目的って本当は、後から振り返って初めてわかるものなんじゃないかと思ってる。
“手段の目的化では?と迷うこともあった。けど続けた。その上で今の自分にプラスの面で働いていることがあると気がついた。”@wakatsubasa https://t.co/kttGPXI1X9
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年10月29日
今日はこの話を少し。
継続の難しさと手段の目的化
継続させることの一番の難しさは、目的を見失うことだと思っています。
手段であったはずの”継続”が目的にすり変わり、
「あれ、これなんのためにやってたんだっけ…?」
と思ってしまうこと。
前にも当ブログで、そんな記事を書きました。
誰に向けてなんのために日々ブログを更新しているのか、よくわかっていない。
毎日ブログを更新するという本来手段であるべきことが、目的化してしまっているのがよくわかる。
本当は、一度立ち止まって見た方がいいのかもしれない。
引用元:毎日更新に対する迷い
僕らくらいの世代は、毎日の時間の使い方によって数年先のあり方が変わってくると、特に思いやすい年頃であると感じています。
だからこそ、手段が目的化し惰性的な日々を過ごしてしまうのはとても怖いのです。
手段の目的化は本当に悪なのか
ただ最近思っているのは、手段の目的化というやつは本当に悪なのか、ということ。
目的というのは、後からついてくるということも普通にあり得るのではないか。
だからこそ、冒頭のツイートのきっかけとなった友人の若月さん(@wakatsubasa)のこちらのnoteには、強く共感しました。
外部リンク:noteを毎日更新して30日が経ちました
僕も今回、自分との約束はもちろん木津ちゃんとの約束を守ろうという意識が(潜在的に)あって続けてこられたけど、一方で手段の目的化では?と迷うこともあった。けど続けた。
その上で今の自分にプラスの面で働いていることがあると気がついた。
実際僕も、このブログをなんとなく毎日更新し始めてもう直ぐ5ヶ月になるんだけど、当初何を目的としていたかは忘れてしまいました。
完全に手段が目的化しているし、なんならあるタイミングから、”継続すること”を目的に切り替えた。
でも結果として、よかったことはたくさんあります。
目的というべきかはわからないけど、恩恵はたくさん受けている。
そう考えてみると、本当の目的というやつは、やってみた先に初めて見えてくるものであるような気もしています。
WORDS代表の竹村氏(@tshun423)のこちらのツイートも、そんなことを言っているのかも知れません。
いまいち頭ひとつ抜きん出ない人は「コスパ思考」が強い。これにはどういう意味があるか、メリットがあるか、リターンがあるか。そういう思考は大切だし、生き物としての本能だとは思う。けど、人生のある時期、特に若いうちは、コスパ考えずがむしゃらにやる時期があっていいし、それが必ず糧になる。
— 竹村俊助/編集者 (@tshun423) 2018年10月27日
終わりに
以上です。
手段先行か目的先行かというのは、あるタイミングで切り替えていくべきなんだろうなと思っています。
ある時期までは手段先行の方が良い気がしているけど、ある時期から、目的先行とした方が良いんだろうなと。
そんなことを、先日waseisalonのslackでシェアされていたこちらの漫画を読んで思いました。
外部リンク:サ道のタナカカツキが考える仕事道とは?描き下ろし半自伝マンガ
また来てね!
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