日々のこと

振り切った努力と娯楽

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

少し前に、幻冬舎代表取締役社長の見城徹さん(@kenjo_toru1229)が、こんなツイートをされていました。

今日は、この話を少し。

振り切った努力ができない

 

以下、冒頭の見城さんのツイートより。

極限の努力をやる人なんてあんまりいないんだよね。だから極限の努力をしている人は独走状態。普通の人は極限の努力なんてしないし、出来ない。だから普通の人。

 

このツイートをみて僕は、「最近は全然、こういう”振り切った努力”はできていないな」と思いました。

自分の持つ全ての時間が、自分の目指している方向に効くような、ストイックな時間の使い方が全然できていない。

(見城さんのいう「極限の努力」とはまた違う気がしたので、「振り切った努力」と表記を変えてみました。)

 

僕がここでいう振り切った努力とは、毎日休まず働き続けるということではありません。

ある期間内で最高のパフォーマンスを発揮できるよう、もっとも効果的な休みをとりながら働き続けるということです。

参照:「何もしない日」をつくったら、オンオフの大切さに気づいた

「それがこれからの働き方だ!」ということを言いたいわけでは決してなく、適度に休まないと生産性が下がってしまう、僕なりの戦い方です。

でも意識としては、睡眠時間も含めて「やってる」という自負があります。

 

そして最近は、そういう振り切った努力ができていないなと。

惰性で過ごしている一分一秒が、すごく多い。

振り切った努力をするために

 

「惰性で過ごしている一分一秒」だなんていうと、「もっと肩の力を抜いたほうがいいんじゃないか」と思われてしまうかもしれません。

正直僕も、書いててそう思いました。

 

でも一番いい時、すなわち振り切った努力ができている時というのは、自分のしていることを努力だとは思っていません。

心の底から、それが面白いと思っているからやっている。

本当は深夜までぶっ通しでやりたいけど、夜更かしすると翌日の生産性が下がってそれにかけられる時間が短くなるから、やむおえず早めに寝る、という感じ。

それはまさに、以前書いた「努力の娯楽化」の話です。

参照:「努力の娯楽化」と「娯楽の仕事化」

 

振り切った努力をするためには、戦略的に、自分が娯楽と思えるとこをやっていく必要がある。

自分が娯楽と思えること

 

ここ最近、自分があんまり面白くないです。

自分という人間も、自分の考えることも、面白くない。

 

先日ふと、昨年の3月頃に自分が書いていたnote読んで、「ああこの時期に書いているものにはちょっと勝てないなあ」と思いました。

外部リンク:note

今よりずっと思考と言動に差異がなかったし、今よりずっとのびのびやってたし、今よりずっと、自分の考えることにワクワクしていた覚えがある。

「昔の方がよかった」ということも、「最近は忙しくて」ということも、死ぬほどダサいとわかった上で、そういうダサさを隠せないくらいには今の自分がダサいし面白くない。

 

そういう閉塞感を突破するのが、腕を捥ぐということなんだと思います。

もっと軽率で、もっと軽やかで、もっと無責任で、もっと自由じゃないといけない。

参照:腕を捥いだら羽が生える

終わりに

 

以上です。

また来てね!

 

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