こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
今日は、ブログのタイトルを「居候男子」にした理由について書きます。
ちなみにブログのタイトルだけではなくて、自分自身の肩書きも「居候男子」にしています。
けちょんけちょんに恋がしたい。
— アユムハンマド@居候男子 (@ayumukizu) 2018年4月24日
けちょんけちょんに恋がしたいです。
「居候男子」の「男子」の部分
「居候男子」の「男子」の部分について。
これは単純に、言葉の収まりで決めました。
「居候〇〇」とすることは決めていて、「居候男子」と発音してみたときに、なんかいい感じだったからです。イソウロウダンシ。
もう一つあるにはあるんだけど、それはまた別の機会に書きます。
「居候男子」の「居候」の部分
「居候男子」の「居候」の部分については、意味合いが二つあります。
「ありたい自分」としての居候と、「やりたいこと」としての居候です。
あ、なんかものすごく真面目な感じになっちゃいそうですね。
でも今回はそういう感じで。
「ありたい自分」としての居候
どこにいても、よそ者でありたいと思っています。
ちょっと何言ってるかわからないかもしれないんですが、とりあえず聞いてください。
このツイートで言ってることです。
群れの中のよそ者であり続けたい。異物でありたい。界隈感を帯びたくない。
塊で人と付き合いたくない。一対一の付き合いを積み重ねたい。
調和を重んじたくない。言いたいことを言いたい時に言いたい。我慢したくない。
ならば群れなければ良い。でもそうじゃない。「群れずに群れる」がやりたい。 https://t.co/EkiO7hkTAM
— アユムハンマド@居候男子 (@ayumukizu) 2018年2月15日
もうこのツイートのまんまなんですが、「ある界隈にどっぷり浸かりたくない」という気持ちがあります。
それは周りからの見え方としてもそうだし、自分自身の心の持ちようとしてもそうです。
ある界隈にどっぷり浸かり過ぎると、逆に居心地が悪くなるような気がしています。
離れる準備ができているから、心地よい関係性を保てるのだと思う。
離れる準備ができている人が纏う、独特の軽やかさが好きです。
そういう「よそ者感」を一言で表せるのが、「居候」という言葉なのかなと。
「やりたいこと」としての居候
全然違う話です。もっと身体的な話。
今もそんな感じなんですが、色んなシェアハウスやゲストハウスに、居候して生活したいと思っています。
理由は二つあります。
一つは、色んな暮らしを体験してみたいからです。
暮らしを変えると、自分の価値観が更新されていく。それまで考えてこなかった、新しいことを考える。それが単純に楽しい。
一生ビギナーでいたい。一生見たことがないものを見たいし、一生知らないことを知りたい。少し前の自分が知らなかった価値観に触れた時が一番高揚する。
— アユムハンマド@居候男子 (@ayumukizu) 2018年4月11日
そしてもう一つは、「よそ者にしかわからないその場所の空気感がある」と思っているからです。それを発信したい。
以前僕が、住むためのシェアハウスを探していた時の話です。
あるシェアハウスのwebサイトを見ていて、そのサイトが発信する「キラキラした日常」に、ハードルの高さを感じたことがあります。
「集まって住むとはこういうことなのか」と。
でも実際に住んでみてわかったのは、シェアハウスでの暮らしはもっと普通だということでした。
「キラキラした”非”日常」もいいけども、「なんでもない日常」こそがその暮らしの本質であるし、そこに面白さや学びがあるのだと思います。
外向きの見せ方と、実際の暮らしぶりには、少なからず違いがあります。
でも実際の暮らしぶりを運営会社が発信するのはおそらく難しいし、住人が発信しても内輪感が出てしまう。
だからよそ者の僕が、ある一定期間そこに居候することによって、その場所の実際の暮らしぶりを発信できたらいいなと思っています。
つまり居候男子は、僕が目指す職業の名前です。
終わりに
以上です。
なんか長くなっちゃいましたね。ここまで読んでいただきありがとうございました。
こんなことを考えて、「居候男子」というブログタイトルにしました。面白い仕事の話があったら教えてください。
また来てね!
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