こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
少し前に株式会社代表の鳥井さん(@hirofumi21)が、ツイートで「hyphen,」のことを書いてくださっていました。
現に「hyphen,」のような新しい次世代型のチームの取り組みは、行き過ぎたインフルエンサー文化の揺り戻しのような形になっていると思っていて、それぞれが独立してはいるけれど、わざと個人が際立ちすぎないような見せ方をしているような気がします。そんな見せ方に共感している若いひとたちも多い。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月18日
今日は、これについて少し。
インフルエンサー(属人性)文化における2つの見せ方
実名顔出しによって発信するインフルエンサー(属人性)文化には、大きく分けると二つの見せ方があると思っています。
一つは、受け手と伝えたいこととの間に自分を介入させる手法。
もう一つは、そこに自分を介入させない手法です。
といっても、実名顔出しをしている時点で少なからず自分を介入させていることになるので、要は自分を介入させることに対して積極的か消極的かという話になります。
例えば旅先で自分が写った写真を積極的にUPするのは、前者に寄せた動きです。
「自分がいるその場所」の絵を発信することによって、自分を介して旅先に親近感を持ってもらう。
ちなみに僕は旅先で自分の写真をUPすることはあまり多くないので、この分類で言えば後者にあたります。
およそ毎日町おこしセンター『コモレビ』で作業をしているんだけど、日に日に知り合いが増えて楽しい。
#勝手に下川暮らし pic.twitter.com/UKJGquBCxF
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年2月26日
小さな嘘と広告感
冒頭のツイートの中で鳥井さんが書いている「行き過ぎたインフルエンサー文化」とは、前者の母数が増えてしまったことに由来する、個を前面に押し出す発信に広告感が出てしまっていることを指していると思います。
自分で自分の写真を撮ると、どうしてもそこに発信者の意図が加わる。
わかりやすいところでいうと、その場の楽しさを伝えるためにカメラに向かって笑顔を作るようなやつです。
発信者が伝えたいことを伝えるためについた小さな嘘が、受け手側に与えてしまう違和感を、ここでは「広告感」と呼ぶことにします。
参照:影響力とは?メディアとしてのツイッターに求められる「非公式感」
そういう意味で、前者(受け手と伝えたいこととの間に自分を介入させる手法)で生き残りたいのであれば、広告として振り切った方がいいと思います。
目一杯つくり込んでしまって、広告としての意味合いを隠さない方が、嘘がなくて良い。
終わりに
ちなみに後者(受け手と伝えたいこととの間に自分を介入させない手法)についても少し書いたのですが、これはあまり公にするようなことでもないので、有料noteにしてみました。
ご興味のある方は除いてみてください。
外部リンク:【続き】インフルエンサー(属人性)文化における2つの見せ方
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