こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
今日の日中友人のしみ(@shimi_yurutabi )とちょっと電話で話をしたんだけど、その時に思ったことを書きます。
参照:僕としみ
「お前は今、自由か?」という問い
しみと話をするとよく、僕が昔別の媒体で書いた記事の話になります。
彼はその記事をずいぶん気に入ってくれているらしい。
今その記事は公開していないんだけど、下書きに眠っている当時のテキストから以下に一部引用します。
去年参加したとあるイベントで、こんなことを聞かれた。
「あなたが一番大切にしているものはなんですか?お金ですか?成長ですか?仕事ですか?自由ですか?それとも家族ですか?」
その時なんと答えたかを僕は今でもよく覚えているし、答えは当分変わりそうにない。
僕が一番大切にしているのは、自由だ。
(中略)
ありたい自分を目指すほど、やりたいことは見えずらくなる。
選択に迷ったら、いつも自分に聞いてみる。
お前は今、自由か?
公開していないのは、何となく恥ずかしくなってしまったからです。
今はもうこんなギラギラした文章はちょっと書けない。
参照:承認欲求の取り扱い
いや、書けるか。
自由の価値が下がっている
この記事の公開から一年半以上が経つんだけど、その間時々、怖いもの見たさで下書きに眠っているこのテキストを読み返します。
その度に少し恥ずかしい気持ちになりながらも、毎回「結構いいこと書いてるじゃん」と思っていました。
さっきしみとの電話をきった後も、とりあえずこの記事を読み返してみた。
記事を読んで真っ先に思ったのは、「最優先事項が変わったな」ということ。
当時は自由であることが一番だと思っていたけど、最近はそうでもないなと思う。
自分の中で、自由の価値が下がっている。
自由かどうかは気持ち次第
自由でありたいと思ったのは、単に僕が不自由であったからだと思います。
朝起きて何も予定がないことに、誰にも咎められず好きなことを発信できることに、心の底から憧れていた。
でも最近は、自由になることは実はそんなに難しくないなと思います。
自分のことを「不自由だ」と思うのは、環境というより自分の気持ちの問題である場合が多い。
勝手に自分に枷をつくって、勝手に自分を「不自由だ」と思い込んでいるだけで、自由になろうと思えばいつだって自由になれると思う。
本当に面白いことは不自由の先にある
そしてもう一つ最近考えているのは、本当に面白いことは不自由の先にあるんだろうなということ。
もっというと、不自由の先にしか面白さはないと思う。
今と違うどこかに向かおうとすれば、必ずなにかしらの抵抗があります。
多分当時の僕が思い描いていた自由とはこの抵抗が少ないことで、漠然としか認識していなかったけど、抵抗はなるべく避けるべきものだと思っていました。
でも抵抗がない道は、どうせ大したところに通じていない。
未来のない自由は、退屈なだけだと思う。
難しいことの方が面白い。
ゴールを見据えて然るべき不自由の中を走った方が、生きがいを感じやすいような気はしています。
終わりに
以上です。
しみとは時々ふらっと電話をするんだけど、特に要件のない電話をふらっとできる友達は貴重です。
知らんけど。
また来てね!
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