こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
先日うちのシェアハウスを管理しているぼりさん(@borilog)と話をしていて、「最近注目している人は誰か」という話になりました。
字面だけみるとなんだか偉そうな感じに見えてしまいますが、本当にただの雑談です。
「あの人なんか気になっちゃうよね」という程度の話。
それから数日経って、あの時僕らが感じていた「なんか気になっちゃう」という気持ちは、その人の纏う”本物感”からくるものだったのではないかと思いました。
今日はそのことを少し書きます。
“本物感”とは何か
僕がここで”本物感”と呼んでいるのは、先に書いた「なんか気になっちゃう人」が持っている、人を惹きつける魅力です。
これはtwitterのフォロワー数が多いこととも、特別話題の渦中にあることとも関係がないと思っています。やけに目を引く人。
彼らが纏う独特の魅力を、ここでは”本物感”と呼ぶことにします。
またtwitterの話を例に出しましたが、twitterでやけに目を引くことと”本物感”を感じることとは、必ずしも同じことではないと思っています。そもそもtwitterやってない人なんていくらでもいるし。
特に10歳以上年上の方だと、ネット上ではなく実際に話す中で”本物感”感じることがほとんどです。
“本物感”を纏う人に共通する、納得感と違和感の取り扱い
ここからは、僕が”本物感”を感じる人に共通する2つのこと、納得感と違和感の取り扱いについて書きます。
「お前はどの身分で話してんだタコ」っていう指摘は、一旦ナシでお願いします。
自分の納得感に忠実であること
まず一つは、自分の納得感に忠実であることです。
世の中一般に良しとされているからといって、安易にそれを良しとしない。
自分の感性にしたがって、良いものとして納得感のあるものだけを、良しとすること。
meets new共同代表の河野さん(@ryoxxx71)の、このツイートなんかはまさにだなと思いました。
いくらみんなが凄い人だと言ってても自分もそう思うか、本当に共感できるかをもうちょっと問いただしてみてもいいと思う。もちろん人からの口コミはSEO上位の情報なんかよりよっぽど信頼できるけど、自分の目や心で受け取った感覚が一番信頼できる気がする。まさに百聞は一見に如かず。
— 河野 涼@伝統工芸・モノづくり (@ryoxxx71) 2018年5月27日
またこれは良しとする話だけでなく、悪しとする話、すなわち批判の仕方についても同じことがいえます。
世の中に叩かれている人や組織を見つけて、一緒になって叩かないこと。
自分の正義に忠実であることです。
共創コミュニティSUSONOで一緒になった小林やばこさん(@yabaco_)が、以前そんなツイートをしていました。
世の中に便乗するのではなく、自分の正義と照らしてから、中指を立てたい。
— 小林 やばこ (@yabaco_) 2018年5月16日
外部リンク:SUSONOについて
自分の抱える違和感を試せること
もう一つは、自分の抱える違和感を試せることです。
これはどういうことかというと、自分が「ちょっとこれは違うな」、「やりたくないな」と思ったことを、試してみることができること。
これはある意味で、先に書いた「自分の納得感に忠実であること」とは、相反する内容であるのかも知れません。
しかし、「自分の納得感に忠実であること」と同じくらい、「自分の納得感に妄信的でないこと」も重要なことなのだと思います。
写真家であり、学生時代からの友人である土田(@Ryotsuchida)のツイートを見ていただくと、わかりやすいかも知れません。
違和感のない人と過ごすことと、
違和感のある人に会いに行くこと。落ち着ける人と過ごすと精神が休まるし、
気になる人に会いに行くと自分の心の偏りに気づける。— 土田凌/ツチダニエル (@Ryotsuchida) 2018年5月7日
自分の心の偏りに敏感であろうとすること。
それは、自分の感性の鮮度を保とうとすることと同じです。
終わりに
以上です。
いやはや、また偉そうに語ってしまいましたね。しかもこれ途中から”本物感を纏う人”の話じゃなくて、”僕の好きな人”の話になってきた感もある。まあいいか。
また来てね!
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