こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
最近良書に出会う頻度が高くて、面白い書籍をたくさん読むことができています。
中でも特に面白かったというか、自分に大きな衝撃を与えたのが、こちらの書籍です。
この書籍の話は書くべきか書くべきでないかずっと迷っていたんだけど、多分ここ最近のスランプはこれを読んで考えたことを表に出せていないことが原因だと思うので、一旦書きます。
参照:ブログが書けない
書籍『天才を殺す凡人』について
書籍『天才を殺す凡人』では、「天才」と「秀才」と「凡人」の思考の特徴と、三者の関係性について書いています。
書籍発売後、新R25(@shin_R25)さんで公開されたこちらの記事に内容がまとまっているので、未読の方はぜひご一読ください。
外部リンク:僕たち凡人はどうしたらいい?「天才を殺す凡人」の著者に相談したら“勘違い”を指摘された(新R25)
また本書籍は、以下のブログが書籍化されたものです。
外部リンク:凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?
原文にご興味のある方は、ぜひこちらも合わせて読んでみてください。
書籍『天才を殺す凡人』を読んで
『天才を殺す凡人』は、恐ろしく面白い書籍でした。
僕がそれまで考えたことがない内容で、かつ、共感できるポイントがものすごく多かった。
同時に、「読まなければよかったな」とも思っています。
あえていうけど、この書籍を読んで僕は、自分が「天才」寄りの思考をする人間であることを知りました。
多分、「天才」と「凡人」の被っているところにいる。

画像引用:凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?
もちろんもっと鋭利な「天才」は世の中にたくさんいるわけで、自分で自分のことを「天才寄り」だなんていうのは恥ずかしい話だなと思います。
それでも、書籍に書かれている「天才」が抱える苦悩みたいな話が、あまりにも自分の悩みに当てはまってしまった。
僕は今まで、人に理解されないのは100%自分の伝達能力の問題だと思っていました。
あるいは、今の自分の活動の特異性の問題だと思っていた。
参照:伝わり方はコントロールできないから、伝え方の精度をあげていくしかない
でも、どうやらそれだけでもないらしい。
世の中には、自分がどんなに伝達能力を高めても、そもそも理解してもらえない領域があるということを知りました。
そしてその理解してもらえない領域の存在を、ロジカルに示されてしまったことがキツかった。
この話の厄介なところは、「コミュニケーションの断絶」という問題は、自分一人ではどうにもならないということです。
理解されないということを認識して、理解されないなりに淡々と頑張るしかない。
仮にこの構造(「天才」「秀才」「凡人」の関係性)を誰かに知ってもらうことで自分のことを理解してもらおうと思ったら、どこかで「自分は自分のことを天才だと思っている」ということを真顔で表明しないといけないんだけど、それはそれで角が立つだろうなと思っています。
あるいは、”自惚れたヤバい奴”として見なされると思う。
自分で自分のことを「天才寄り」だと表明する動きは、世の中から排斥される動きです。
…と言いつつ、書いてしまったわけだけど。
一点補足しておきたいのは、ここで述べられている「天才」とは、優れていることを示す言葉ではないということ。
優劣の話ではなく、思考のクセ、あるいは個性の話をしている。
だからここで自分のことを「天才寄り」と表現していることについても、自惚れた気持ちがそうさせているわけではない、と思っています。
終わりに
以上です。
とはいえ、本当に面白い書籍でした。
次に読む本が決まっていない方は、ぜひ読んでみてください。
また来てね!
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