こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
ブログの毎日更新をはじめてそろそろ一年になるのですが、相変わらずブログの書き方はよくわかっていません。
ブログの書き方というか、自分のスタンスかな。
変わり続けるスタンス
スタンスは、実はコロコロ変わります。
大崩れせず日々淡々とやることが大事だと思う時もあれば、全てを投げ捨て感情に従うことが大事だと思う時もある。
愛を込めて書くことが大事だと思う時もあれば、適当に書くことが大事だと思う時もある。
思想と言動に差異がないことが大事だと思う時もあれば、現実の自分ではなく理想の自分(ありたい自分)に語らせた方がいいと思うこともあります。
人に優しくすると、心に余裕が生まれる。「笑う門には福来る」じゃないけど、良いことが起きたから笑うのではなくて、笑うから良いことが起きる。同じように、心に余裕があるから人に優しくできるのではなく、人に優しくするから心に余裕が生まれる。変えられるのはいつだって、自分のアクションだけ。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年5月13日
いつだって自分の嘘偽りない気持ちを書いているつもりなのに、その時その時で、自分の掲げているスタンスはそれなりに変わっている。
これは「僕が特別無責任であること」を示しているというよりも、「人の確信はそんなにあてにならないこと」を示していると思っています。
人の確信はあてにならない
ツイッターにしてもブログにしてもそうだけど、発信活動をある程度続けていると、「これは確固たる事実に違いない」と思える気づきを得る瞬間が時々あります。
「継続は力なり」「自分の心の声に従おう」
「若い時はがむしゃらにやれ」「無理をしなくていいんだ」
とか、とか。
でも僕は、そういった確信はほとんどの場合、大してあてにならないと思っています。
その時々、自分にとってもっとも都合の良い確信を選んでいるだけ。
それは別に皮肉を言いたいわけではなくて、そういうものだろうなという話です。
戦う自分を鼓舞するための”確信”である場合もあるし、弱った自分に寄り添うための”確信”である場合もあって、単なる生存戦略だと思っている。
だから僕は、そういった1つ1つの確信(言葉)を、あまりアテにしていません。
人の確信を信用するわけではなく、かといって疑うわけでもなく、「今日の服装」くらいの距離感で、その人の過去や未来とは独立した1つの事象として見ていたい。
書くことは、思考と心を分離させること。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年3月31日
終わりに
以上です。
また小難しいこと書いてしまいました。
また来てね!
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