こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
誰に向けて文章を書くか、ということについて考えたので、今日はその話を少し。
誰に向けて文章を書くか
昔人から、こんなことを言われたことがあります。
文章を書くときは、誰に届けたいかを明確に決めて書くといい。
性別は?年齢は?その人は今どんなことに困っていて、どんなことに幸せを感じる人?
誰に向けて文章を書いているかで、その人の発信に対するスタンスがわかるような気がしています。
ブログやnoteについてもそうだし、twitterやインスタグラム等各種SNSについてもそう。
ターゲット層としてざっくりと定める人もいれば、特定の”誰か一人”を想定して書く人もいます。
もちろん、どれが正しいという話をしたいわけではありません。
それは多分、文章を書く目的に応じても変わってくることだと思います。
でも僕が好きなのは、”誰にも向けられていない文章”なのかなと。
吉玉サキさんの文章が好きな理由
僕が好きなエッセイストに、吉玉サキさん(@saki_yoshidama)という方がいます。
毎日更新されるnoteは全て欠かさずチェックしている、とまでは言わないけど、ふと時間ができた時は、つい吉玉さんのnoteの更新記録を確認してしまう。
はじめに断っておくと、僕は文章を書くことについての専門知識があるわけではありません。
だから僕は、吉玉さんが文章を書く上で意識していることをほぼ理解できていないであろうし、彼女の文章の良さについて的確な解説はできないと思います。
その上で、僕が吉玉さんの文章が好きなのは、彼女の文章が”誰にも向けられていない文章”であると感じるからです。
共感を求めないひとり言を、インターネット上に投げているような。違うかな。
共感を求めない文章
吉玉さんの文章からは、あまり熱量を感じない。
あ、いや。「熱量を感じない」だとなんだか身も蓋もない言い方になってしまうけど、これは完全に良い意味です。
明確な伝えたいことが熱量を持って迫ってくるのではなく、吉玉さんが考えたことを控えめにシェアしてくれて、その伝わり方については読み手に委ねているような。
そんな余白のある文章の書き方が、とても心地よいなと感じます。
最近は、共感を求める文章を見かけることが多くなりました。
信用経済が叫ばれるようになって、人から共感されるということが一つのブランドになっている気がしないでもない。
でもそんな時代だからこそ、共感を求めない文章を書く人はいいなと思います。
今朝したツイートも、多分そんな話です。
最近は、淡々としている人に惹かれる。謙遜も誇張もなく、淡々と自分のことを語る人。”淡々と”とは言っても、語りのトーンはあまり関係がない。面白おかしく語る人もいれば、言葉通り静かに淡々と語る人もいる。まだうまく言語化できていないけど、共通してるのは、どこかで自分を客観視していること。
— アユムハンマド|polca挑戦中 (@ayumukizu) 2018年7月16日
終わりに
以上です。
毎日更新される吉玉さんのnoteは本当にオススメなので、よかったら読んでみてください。
▼吉玉さんのnote
https://note.mu/yoshidama2013
▼書籍も出版されています。
ネガティブ嫁、旅に出る (うつ病治りたてで南米・スペイン巡礼183日)
また来てね!
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