こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
僕は「今が一番幸せだ」という言葉が好きで、よく言います。
この言葉を口にすることで、実際に「今が一番幸せだ」と思える節がある。
かといって、僕は強がりで「今が一番幸せだ」と言っているわけではなく、実際に「今が一番幸せだ」と思っているから言っています。
昨日友人と話していて、「今が一番幸せだ」と思うのにはコツがあるんだろうなと思ったので、今日はそのことを書きます。
モテアマスは充実しすぎていた
昨晩、僕が以前住んでいたシェアハウス『モテアマス三軒茶屋』で一緒だった女の子と、電話で少し話す機会がありました。
彼女も今はモテアマスを出て、違う土地に住んでいます。
最近の調子を聞くと、こんな風に言っていました。
「楽しいけど、モテアマスにいた時ほど充実しているとは言えないかも。」
僕も彼女と同じように、モテアマスにいた時ほど毎日が充実しているとは言い切れません。
モテアマスでは、リビングに行けば毎日誰かがいて、毎週末おかしなイベントが開かれました。
住人でない方が家の中を行き来することも多い一方で、住人だけで落ちついて真面目な話をすることあった。
はっきり言って、モテアマスでの生活は充実しすぎていました。リア充すぎた。
幸せの定義を更新する
それでも僕は、石川にいる今が一番幸せだと思っています。
ちなみに僕はモテアマスにいる時も、「今が一番幸せだ」だと思っていました。
僕は多分、「今が一番幸せだ」と思うのが得意です。
昨日、こんなツイートをしました。
僕が常に今が一番幸せだと思えるのは、幸せのものさしを更新し続けているからだと思う。
「幸せの定義」に「今の自分」を寄せているのではなくて、「今の自分」に「幸せの定義」を寄せている。気がする。
— アユムハンマド|居候男子 (@ayumukizu) 2018年7月2日
僕がいつも「今が一番幸せだ」と思えるのは、自分の思う”幸せの定義”をその時々で更新しているからなんだと思います。
新卒で入社した会社に勤めていた時は、お金に余裕がないと幸せになれないと思っていました。
お金を稼いで、消費しまくって遊んでいたから。
仕事を辞めてからは、お金に余裕がないタイミングが何度もありました。
最初はもちろん大変だったけど、ある時からお金がなくても幸せを感じられるということがわかった。
「幸せはお金じゃない!」なんていうつもりは全くなくて、単に自分の中での”幸せの定義”が変わったというだけの話です。
同じように、モテアマスで暮らしていた時と今とでも、”幸せの定義”は変わっています。
当時は賑やかで寂しくない暮らしに幸せを感じていたけど、今はのんびりとしてノイズの少ない暮らしに幸せを感じている。
結局僕は、自分が幸せであることをまず決めて、”今の自分”に”幸せの定義”を寄せているだけなんだと思います。
それが、「今が一番幸せ」だと思う技術。
終わりに
以上です。
さっき僕は「”幸せの定義”が変わった」という書き方をしたんですが、これも厳密には違うような気がしています。変わったというより、増えた。
理解はできるけど今は選んでいない、”幸せの選択肢”が増えた、という感覚です。
これは長くなりそうなので、また別の機会に書きます。
また来てね!
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