こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
今朝、こんなツイートをしました。
昨日久しぶりに地元の飲み会に顔だしたら、「みんな木津のこと心配しているよ」という謎の慈悲を受けてしまい心底疲弊した。理解できなくてもせめて歩み寄ろうというスタンスで生きているんだけど、あそこまで見下されるとそれすらアホくさくなる。視野の狭さに呆れたし、悔しい通り越して同情した。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年9月6日
自分の中で処理仕切れないネガティブな感情が沸き起こってしまい、SNSで出すべきか迷いながらも、出した。
その中指の立て方はダサくないか
このツイートをした直後、株式会社Wasei代表の鳥井さん(@hirofumi21)が運営する『隠居系男子』の、以下の記事を読み返しました。
外部リンク:ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。
以下に一部引用します。
皮肉を書いてもOK!悪口だって書きたい時には書きたいだけ書けばいい!もちろん、上司や先輩のお世辞なんて全く書く必要なんてありません。
ただし、常に自分は何をもって覚えられたいのか、ということは問い続ける必要があると思います。(※「何をもって評価されたいか」ではない。)
つまり「なりたい自分に書かせろ!」というのが僕の答えです。
単に、一時の憂さ晴らしや、自分の溜飲を下げる為に書かないこと。本当になりたい自分に一歩でも近づくための発言になっているかどうか、それを常に意識するべきなのだと思います。
先のツイートが、ここで書かれている「本当になりたい自分に一歩でも近づくための発言」になっているかどうかは、正直わかりません。
でも僕は、ダサいことはしていないつもりです。
引用した鳥井さんのブログでは、最後にこう書かれています。
小難しく書いてきましたが、もっと簡単に言ってしまえば、それがダサくないかどうかなんだと思います、自分にとって。
最初はそれぐらいの判断基準で十分でしょう。自分がダサくないと判断したのであれば、ドンドン積極的に中指立てていきましょう。若い人は特に、です。
自分が「おかしい」と思ったことに対して「おかしい」ということが、ダサいわけがない。
言葉の選び方はどうあれ、きちんと中指を立てられた自分を褒めてあげたいです。
中指を立てることの方が難しい
僕は、できる限り他人を否定しないように生きたいと思っています。
他人を否定しないと主張できないようなことに、本当の意味での正当性はありません。
自分に自信がある人ほど、他人の意見にとやかくいうようなセコイ真似はしない。
でも今回冒頭のツイートをしてみて、中指を立てるためには(≒何かを否定するためには)、ある種の覚悟が必要であるんだということを理解しました。
自分の意見に対してより精度の高い納得感を持つと同時に、きちんと批判に晒される覚悟を持つ必要があるということ。
そういう意味では、中指を立てることの方が難しい。
もちろん、なんでもかんでも批判をすればいいという話ではありません。
けれども、誰からも嫌われないような無難な意見ばかりを投じていては、いつしかエッジがなくなってしまうのだろうなと。
エッジがなくなって、小さく納ってしまうのは怖い。
以前この記事で書いたのも、そんな話なんだと思います。
終わりに
以上です。
waseisalonで一緒になったたっけくん(@takeee814)と三浦くん(@miuranozomu)は、きちんと中指が立てられる人たちです。
好きなものには素直に「イケてる」と伝えて、嫌いなものは「ダセえ」と言って切り捨てる。
だからこそ知り合ったばかりの頃、僕は二人のことをどちらかというと苦手なタイプだと思っていました。
それでも僕が今彼らのことをすごく好きでリスペクトしているのは、そこに彼らなりの確かな納得感と美学があるから。
初めから気になってしまったのは、彼らが僕のできないことを普通にできてしまう人たちだったから。
つってね。
また来てね!
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