日々のこと

「嫌いのリテラシー」を高めることの重要性

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

最近、「嫌いのリテラシー」を高めていく重要性についてよく考えています。

今日は、この話を少し。

「嫌いのリテラシー」とは何か

 

「嫌いのリテラシー」とは、便宜上僕が最近よく使っている言葉で、要は造語です。

誰かに対して「嫌いだ」と思う感情の、取り扱いの上手さ、として理解してください。

 

ここでいう「嫌いのリテラシー」を高めるということは、

・「嫌いだ」という感情の「伝え方」
・「嫌いだ」という感情の「受け取り方」

を、上手くするということ。

そしてその根底に、「嫌いだ」という感情をきちんと尊重できる心を持つということです。

なぜ今「嫌いのリテラシー」を高める必要があるか

 

僕が「嫌いのリテラシー」を高めていく必要があると感じているのは、今はtwitterをはじめとした各種SNSから、誰とでも簡単に繋がれる時代であるからです。

その中には、自分がどうしても好きになれない・ウマが合わない人もいるはずで。

そんな時代に、自分が誰かを「嫌いだ」と思う気持ちを尊重できるようにしておかないと、人付き合いに消耗する。

「嫌い」という気持ちを隠して付き合っていくこと自体は、実はそれほど難しいことではありません。

でもそんな人間関係を続けていっても、お互いに良い影響はほとんどないと思っています。

参照:好きじゃない人からはきちんと離れる

 

人付き合いに消耗しないために、自分がどうしても好きになれない・ウマが合わない人とは、きちんと距離をとった方が良い。

その際に、「嫌い」という気持ちを上手に伝達する力、引いては「嫌いのリテラシー」の高さが重要になってくるのだと思います。

「嫌い」の正しい伝達方法

 

「嫌いのリテラシー」が低い昨今では、誰かに「嫌い」を伝えるのがすごく難しいなと思います。

どんなにオブラートに包んで伝えても、少なからず角が立つ。

 

むやみに角を立てても、良いことはありません。

それでも、角が立たないように一方が我慢しているのもやはり良い状態ではないわけで。

僕らは「嫌い」の正しい伝達方法を、考えていく必要があると思っています。

 

正直この伝達方法については、自分の中で納得感のある解はまだ出ていません。

今の時点での仮説は、決して感情的にならないこと。

特に受け取り手が、「嫌い」という事実に対してウェットに捉えすぎないことが重要なのかなと思っています。

 

あとは、「嫌い」に正当性を持たせようとしないこと。

「好き」に理由がいらないのと同じように「嫌い」にも、正当な理由を持たせる必要はないのだと思います。

正当な理由を持たせようとすればするほど、結局それは単なる感情論になってしまう。

終わりに

 

以上です。

「嫌いのリテラシー」が高いということは、誠実であることと同じだと思っています。

都合の良い表現に見られてしまいそうだけど、本当にそう思う。

 

ちなみに居心地の良いコミュニティにも、「嫌いのリテラシー」は必要だと思っています。

「嫌いのリテラシー」が低いと、コミュニティは会社や学校のような場所になってしまう。

参照:コミュニティのその先の話

この話は、また別の機会に書きます。

 

また来てね!

 

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好きじゃない人からはきちんと離れる

コミュニティのその先の話

僕が「嫌い」を表明したくない3つの理由

 

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