こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
少し前に、こんなツイートをしました。
コンテンツの質よりも、コンテクストの質を高めることにモチベーションがある。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年4月19日
今日は、この話を少し。
コンテンツとコンテクスト
冒頭のツイートに書いた通り、最近僕は、コンテンツよりもコンテクストを考えることに面白さを感じています。
コンテクストは、直訳すると「文脈」。
「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳されるようです。
僕がここで「コンテクスト」という言葉によって言わんとしているのは、コンテンツの連なりのことです。
コンテンツそのものではなくて、複数のコンテンツによって浮き上がってくる内容。
わかりやすいのが、過去のコンテンツによる伏線を回収するようなコンテンツ。
それぞれがコンテンツとして成立しているけど、関連する全てのコンテンツを知っていると、また別の意味合いが浮かび上がってくる。
これは以前、こちらの記事で書いた内容とも近い話です。
ちなみにコンテンツとコンテクストは、全く切り離して考えられるものではありません。
コンテンツの集合でコンテクストが生まれると見るか、コンテクストを充足させるようにコンテンツが生まれると見るか、要は単なる順番の話です。
ただ、コンテンツを作ろうとしているのかコンテクストを作ろうとしているのかで、1つ1つのコンテンツのあり方はかなり変わってくると思います。
コンテクストとストーリー
また別の話をします。
少し前に、友人のカナエさん(@fm503_)がこんなツイートをしていました。
なんかもうそろそろ「ストーリー」とか「背景・意味のあるモノコト」とかちょっとしんどいなーと思うこともある。そこ、そんなに知りたいとか思ってないから、ってときない?
全部想いの詰まったものとして受け取るの重たくてしんどいなあと。
直感にビシッと刺さる「いい!」が欲しいときもある。— カナエナカ(やま) (@fm503_) 2019年5月6日
なんかもうそろそろ「ストーリー」とか「背景・意味のあるモノコト」とかちょっとしんどいなーと思うこともある。
「コンテクスト」と「ストーリー」は、よく似ています。
なんなら「ストーリー」とは、「コンテクスト」をコンテンツ化したものだと思う。
「コンテクスト」を体系的に語るのが「ストーリー」。
なんだけど、コンテクストの内容は、自分で語ってしまったらおしまいです。
伏線を、自分で嬉々として解説する監督はダサい。
他人に語ってもらうのも本当はあまりよくなくて、受け手に自発的に気付いてもらうのが一番良いです。
コンテクストを考えるということは、ストーリーを受け手に自発的に読み取らせる仕組みを考える、ということと同意です。
終わりに
以上です。
また来てね!
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