コミュニティ

コミュニティのその先の話

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

コミュニティという言葉がブームですね。

SNSを見ても、ビジネス書を読んでも、いたるところでこの言葉が目に入る。

 

今日は、コミュニティについて書きます。

今ブームのコミュニティがこれからどうなっていくかについての、僕なりの考察です。

 

僕が携わっているコミュニティ

 

まず、僕が今携わっているコミュニティについて簡単に紹介します。

 

今僕は、以下の3つのコミュニティに加入しています。

・共創コミュニティ SUSONO

外部リンク:SUSONOについて

・招待制オンラインサロン waseisalon

外部リンク:waseisalonについて

・シェアハウス モテアマス三軒茶屋

外部リンク:モテアマス三軒茶屋について

 

SUSONO、waseisalonは、どちらもオンラインでのコミュニケーションを基盤としながら、オフラインでも活発に交流が行われているコミュニティです。

ちなみにSUSONOは有料。waseisalonは無料ですが、招待制です。

 

またシェアハウス モテアマス三軒茶屋は、僕はもう退居してしまったシェアハウスですが、ここがある種のコミュニティであり、僕が今でもそのコミュニティの一員であることは間違っていないと思います。

 

コミュニティブームはいつ?

 

コミュニティという言葉が本格的に流行りだしたのは、いつくらいからなんでしょうね。

僕の周りだと、ここ1年半から2年くらいまでの間によく聞くようになりました。

 

もちろんもっと前からコミュニティブームの到来を感じていた人はいるであろうし、逆に今の時点で、「コミュニティがブームだ」と言われてもピンとこない人もいると思います。

それは単に、その人の立ち位置と関心を持つ方向の問題として。

 

ちなみに僕の感覚では、今はまだコミュニティブームの入り口で、これからもっとメインストリームの話になってくると思っています。

 

コミュニティの未来の話をしたい

 

コミュニティについて、その魅力や必要性、経済的効果について語られる機会は少なくありません。

けれど、コミュニティの未来についての話をする機会は意外と少ないなあと。

コミュニティがこれからどう変わっていくかとか、コミュニティの次にブームになるのは何かとか、そういう話もたまにはしたいなあと思っています。

じゃあとりあえず、僕が今考えていることを書いておくかと。

 

前置きが長くなりましたが、今日はコミュニティの未来について、僕が今考えていることを書きます。

 

なぜコミュニティが求められているか

 

まず、そもそもなぜ今こんなにもコミュニティが叫ばれているのかについて。

 

結論からいってしまうと、安心できる「居場所」がなくなっているからだと思っています。

なくなってしまった「居場所」の代わりとして、コミュニティが今求められている。

 

これは去年の末に行われたSUSONOのローンチイベントで、ジャーナリストの佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)がおっしゃっていたことだと思うんだけど、これから先「居場所」として機能していく場所が少なくなっていきます。

以前は大家族が担っていた「居場所」は、単身世帯の増加に伴い「居場所」として機能しなくなりました。

また少し前まで「居場所」として機能していた会社は、労働者の流動化、働き方の多様化によって、やはり「居場所」として機能しなくなっていく。

 

でも、人は安心できる「居場所」がないと生きていけません。

「居場所」がなくなってきている今、新たな「居場所」として注目されているのがコミュニティ。

家とも会社とも異なる、第三の「居場所」です。

 

会社が「居場所」として機能しなくなっていく流れはこれからますます進むと思うので、コミュニティブームもこれからまだまだ盛り上がりを見せるだろうなと。

そして盛り上がりを見せると同時に、コミュニティが本来持っていた居心地の良さを失う可能性はあるなと思っています。

 

居心地の良さが失われる可能性

 

コミュニティが本来持っていた居心地の良さを失うパターンは、いくつかあると思っています。

ざっくりいうと3つ。

 

①多数派が増え少数派の居場所がなくなるパターン

②流動性がなくなり人間関係が面倒くさくなるパターン

③生産性を求める”チーム”になってしまうパターン

 

順番に書いていきます。

 

多数派が増え少数派の居場所がなくなるパターン

 

まず、多数派が増え少数派の居場所がなくなるパターン。

 

少し前までのコミュニティには、社会的には少数派と言われる人が多かったように思います。

ここはピンとくる人とこない人がいるような気がするんだけど、あえて詳しくは触れません。

仮に一つ例をあげるなら、会社組織にうまく馴染めなかった人。

僕なんかはどちらかというとそういうタイプです。

 

集まることが苦手な人(=少数派)が集まることで成立していた場が、集まることもできてしまう人(=多数派)が増えることで、コミュニティの中に居場所をつくれない人が生まれる可能性はある。

僕は今のところそういう居心地の悪さを感じることはないけど、これは結構あり得る話なんじゃないかなと思っています。

 

流動性がなくなり人間関係が面倒になるパターン

 

次に、コミュニティに閉塞感が生まれ人間関係が面倒になってしまうパターン。

 

コミュニティが居心地が良いのは、適切な距離感があるからです。

付き合っていても良いし、付き合っていなくても良い。そんな付かず離れずのゆるい距離感があるから、コミュニティは居心地の良い場所になっているのだと思います。

 

だから例えば、一つのコミュニティが流動性を持たずに長期間続いた場合、ウマが合わないけど付き合わないといけない人が出てくる可能性はある。

結果として、コミュニティが居心地の悪い場所になる可能性があります。

 

生産性を求める”チーム”になってしまうパターン

 

最後に、コミュニティがチームになってしまうパターン。

 

生産性を求めると、コミュニティは居心地の良さを失います。

少し前までの会社が「居場所」として機能していたのは、生産性を突き詰めすぎていなかったからだと思っています。

「働き方改革!」「残業やめよう!」みたいなことが叫ばれるようになってから、会社が「居場所」として機能しなくなる流れは加速したような気がしています。

本当の意味で生産性を求めるなら、集まる必要はあんまりないです。

 

生産性を求めるのは、コミュニティではなくチームです。

もちろんチームはチームの良さがあるけども、コミュニティとして始まった共同体がチームになってしまうのはあまりよくない。

少なくとも、「居場所」ではなくなる。

 

「居場所」としてのコミュニティを目指すなら、そこがある種の”ぬるま湯”であることは絶対的に必要であると思っています。

 

居心地の良いコミュニティを持続させるために

 

以上3つのパターンを踏まえて、居心地の良いコミュニティを持続させるために考えるべき内容について書きました。

 

同時にたくさんのコミュニティに所属する

 

まずは、同時にたくさんのコミュニティに所属すること。

これは、

①多数派が増え少数派の居場所がなくなるパターン
②流動性がなくなり人間関係が面倒くさくなるパターン

に関する話です。

 

同時にたくさんのコミュニティに所属するということは、一つのコミュニティに対する依存度を減らすということです。

依存度を減らせば、コミュニティとしてではなく個人として、各々が距離感を調整しやすくなります。

 

少数派の居場所がなくなる話も、人間関係が面倒くさくなる話も、おそらくこれで解決できる。

 

意識の低さが安心できる「居場所」をつくるということを忘れない

 

次に、安心できる「居場所」をつくるのは意識の低さであることを忘れないこと。

 

これは、

③生産性を求める”チーム”になってしまうパターン

に関する話です。どちらかというと、運営側の話かも。

 

コミュニティを居場所たらしめるのは、意識の低さです。

熱湯と冷水の間にある”ぬるま湯”だから、安心できる居場所になる。

 

コミュニティの仕掛け人は、意識が高くていいんです。

でも居心地の良いコミュニティをつくるなら、コミュニティ自体には意識の高さを持ち込まない方がいいと思っています。

 

コミュニティに終わりを設定する

 

最後に、コミュニティに終わりを設定するということ。

 

これは、

②流動性がなくなり人間関係が面倒くさくなるパターン

に関する話です。①もちょっと絡むのかな。

 

コミュニティに閉塞感を持たせないために、コミュニティに終わりを設定する。

それによって、コミュニティの中で適切な距離感を保ちやすくなります。

 

また終わりを設定することで、コミュニティ解体後も、個人としてつながる人が出てきます。

お互いのことをわかった上で気が合うから繋がり続け、離れることもできる関係性。

これが一番、健全な人間関係だと思っています。

 

集まって住むというコミュニティの未来

 

長くなってしまいましたが、最後にこれだけ。

コミュニティの話は、暮らし方の話になる可能性があると思っています。

シェアハウスとか、ソーシャルアパートメントとか集落とか、集まって住む系の話。

 

僕はいくつかのシェアハウスに住んでみて、「集まって住むことは非常に精神衛生上よろしいな」と思うようになりました。

なんというか、人間的にとても自然。

 

とても自然だと思っているんだけど、僕が前に友人とシェアハウスの一室でルームシェアをしていたことを人に話すと、驚かれることが多い。

驚かれ、「僕(私)には無理だ」と言われる。

多くの人にとって、家族以外の人と一緒に住むということは、相変わらずハードルが高いんだなと感じました。

 

しかしこのコミュニティブームをきっかけに、集まること、集まって住むことへのハードルが下がる可能性がある。

価値観が近い人であれば、一緒に住むことはそんなに苦じゃないという事実にみんなが気付き始めるような気がしています。

 

少子高齢化の話なんかは、家族のあり方を再考しないと立ち向かえない話だと思ってます。

家族のあり方を再考するということは、集まって住むを再考するということ。

 

コミュニティ、集まって住むこと、少子高齢化。

この辺りの話が、一緒に語られる日がきてもおかしくないなあと思っています。

むしろもう、僕の知らないどこかで語られてるんだと思いますが。

 

終わりに

 

以上です。

いやはや、長くなってしまいましたね。偉そうにすみません。

コミュニティ絡みで考えていることをざっくり書いてみたので、同じようなことに関心ある方いれば今度話しましょー!

また来てね!

 

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ABOUT ME
木津 歩|居候男子
コミュニティを旅する居候男子。月一引越しの移動生活を実践しています。一級建築士。通称はムハンマド。