こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
昨晩、こんなツイートをしました。
「失敗を恐れないこと」と、「失敗してもいいと思うこと」は、似ているようで全然違うんだよ。失敗を恐れずに、失敗しないよう細心の注意を払うんだよ。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年1月26日
今日は、この話を少し。
いたるところで叫ばれる「失敗を恐れるな」の声
失敗を恐れず行動することの重要性が、いたるところで叫ばれています。
「失敗を恐れるな」
「行動しないと何も始まらない」
これらの意見には、僕も概ね同意しています。
失敗を恐れて行動に移さなければ何も始まらないし、たとえ失敗したとしても、それが次以降の糧になるのであれば得るものの方が多いと思う。
ただここで気をつけないといけないのは、「失敗を恐れない」という言葉を、「失敗しても良い」という風に履き違えないこと。
「失敗を恐れないこと」ことと「失敗しても良いと思うこと」とは、似ているようで全然違う話です。
「失敗を恐れないこと」と「失敗しても良いと思うこと」
「失敗しても良いと思うこと」は、起こりうる失敗に目を向けないことです。
漠然と「失敗したらどうしよう」と思うのをやめて、兎にも角にも敵に向かっていくこと。
良い言い方をすれば勇敢とも言えるけど、悪い言い方をすれば無謀とも取れてしまう。
一方「失敗を恐れない」ということは、起こりうる失敗と徹底的に向き合うことです。
漠然と「失敗したらどうしよう」と思うのをやめて、起こりうる失敗を予想分析し、そこに陥らないよう細心の注意を払いながら進むこと。
巷で言われている「失敗を恐れず行動しよう」という言葉は、こちらのことを指しているのだと僕は思っています。
手段としての「失敗しても良い」の使いどころ
「失敗しても良いと思うこと」が一概に悪いことだとも思いません。
無理やりにでも敵との距離を詰めることで、結果的に起こりうる失敗の解像度が上がっていき、いやでも細心の注意を払わざるを得ないから。
ただそれはあくまで全く未経験の分野に挑戦する時、すなわち敵の輪郭があまりにも見えていない時に、戦略的に選ぶ手段であるべきです。
はじめから「失敗しても良い」と考えてしまうと、「どうすればうまくやれるか」を徹底的に考えるフェーズを飛ばしてしまうため、長い目で見ると遠回りになってしまうことが多いなと思っています。
終わりに
以上です。
ここ最近真面目なブログを書きすぎていて、そろそろカスみたいな記事を書かないとバランスが取れない感isある。
また来てね!
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