日々のこと

「バカをさらけ出す」は本当に正しいのか

こんにちは。木津(@ayumukizu)です。
巷ではアユムハンマドと呼ばれています。

今日友人からある相談を受けたんですが、その時のやり取りが僕にとってとても考えさせられる内容だったので、共有させてください。

「バカをさらけ出していきたい」

 

その友人は、プライドが高いということをコンプレックスに感じているらしく、「もっと素直になり、バカをさらけ出していきたいけども、その方法がわからない」と言っていました。

僕から見て彼はそれほどプライドが高いとは思わないし、自分のコンプレックスに向き合って改善していこうとしていく姿がとても素敵だなと思いました。やはりいい男だなと。

今日のブログで一番書きたかったことは以上です。第一部完。

 

その上で、「バカをさらけ出していきたい」という言葉に少し違和感を感じていたので、僕なりに考えたことを書きます。

 

その前に、昔の話を少し。

自分の評価と他人からの評価は別々

 

僕は二年前、2016年の3月に、新卒で入社した会社を退職しました。
理由はいろいろあったけど、「一級建築士の試験が半年後に控えていた」というのも理由の一つにあります。

当時はそれなりに忙しくさせてもらっていて、恥ずかしながら僕のキャパでは、働きながら十分な勉強時間を確保するのは無理だなと思いました。
貯金もあったし、1年くらいフラフラしながら資格をとって、それからまた就職するかと。

 

仕事を辞めることを決めた時、周りの人はチヤホヤしてくれました。
「勇気あるね」と言われた。

でもいざ仕事を辞めてみたら、世間は思った以上に無職の僕に厳しかった
僕が勝手に斜に構えてた部分ももちろんあるとは思いますが。

この辺の詳細は割愛させて下さい。

 

それでも僕は淡々と勉強をして、その年の年末に無事に一級建築士になりました。

そうしたらまた周りの人からチヤホヤされた
「さすがだね」と言われた。ふむ。

 

仕事を辞めると決めた時から一級建築士の資格を取るまで、僕は何も変わっていません。
一級建築士の資格にしたって、所詮は資格です。本質的には何も変わらない。

それでも評価はくるくる変わる。

その時僕は、自分の評価と他人からの評価は、別々のものなんだということを理解しました。

バカかどうかを判断するのは他人

 

初めの話に戻ります。
「バカをさらけ出していく」ということについて。

 

結論から言うと、「バカをさらけ出していく」のではなくて、「バカがバレるのを恐れない」という、原文の通りなんだろうと思います。

原文というのは、株式会社Wasei代表の鳥井(@hirofumi21)さんの記事をご覧ください。

外部リンク:なぜ人はわかっていても行動できないのか?

 

「バカをさらけ出そう」ともがいても、バカかどうかを判断するのは他人です。
だから「バカさらけ出そう」とする必要はないんじゃないだろうか。

人に評価されることを諦めて好き勝手やってたら、勝手にバカになってるんだと思います。BAKA。

 

そんな話を、今日友人としました。彼はいい男です。

終わりに

 

以上です。

なんだか偉そうにすみません。
その友人から、「木津ちゃんは、俺の直面している悩みはとっくに終えているんだと思う」と言ってもらい、調子に乗ってしまいました。

彼が僕のことをそういう風に見てくれたのは多分、僕が昔の経験から、人に評価されることを諦めているからなんだろうなと思い、今回の記事を書きました。

また来てね!

 

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