こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
今は石川県にある”ぼりちゅに邸”というシェアハウスで生活しています。
こっちの海はアホみたいに綺麗です。ほんとなにこれ。
今日はやけに寒いけど、海がいつもより綺麗な気がする。 pic.twitter.com/4M9TiZmuRF
— アユムハンマド@居候男子 (@ayumukizu) 2018年6月13日
海があんまり綺麗だから、毎日海沿いを散歩しています。
でもいつかのタイミングで、この海の綺麗さについてなんとも思わなくなる日がくるのかもしれないなと思いました。
エモい気持ちにはなってないです。
“主観の魅力”は期限が短い
僕は少し前まで、東京都世田谷区三軒茶屋にある”モテアマス三軒茶屋”というシェアハウスに住んでいました。
三軒茶屋に住んでいるというと、
「飲み屋さんいっぱいあっていいよね」
「遊ぶ場所に困らなそう」
と、いろんな方から言われました。
「そうなんだよ。酒を飲む場所にだけは本当に困らない。」
僕は決まってそう答えるけど、僕が実際そう思っていたのは、住み始めせいぜい二週間くらいです。
「飲み屋さんがたくさんあって遊び場所に困らない三軒茶屋」は、ある時から、自分にとって当たり前のものになったからです。
それは人に説明する時に使う魅力であって、僕が心の底から感じている”主観の魅力”ではない。
暮らすことで見える新しい魅力とその期限
「飲み屋さんがたくさんあって遊び場所に困らない三軒茶屋」には、住み始めてすぐに、なんとも思わなくなりました。慣れてしまった。
でも僕は、慣れてしまってからも相変わらず三軒茶屋が好きでした。
家の近くに大きい公園があったり、飲み屋さんの間の細い路地の先に銭湯があったり、駅前の道をちょっと入ったところに昔ながらのスーパーがあったりする。意外と生活がしやすい。
賑やかな街だけど、地に足のついた生活感が溶け込んでいる様子が、とても好きでした。
そこで暮らすことによって、住む前にはわからなかった、新しい”主観の魅力”に出会える。
でも暮らすことによって見えた新しい魅力にも、やはり正味期限があるのだろうと思います。
その証拠に僕は、自分の育った千葉県については、もう魅力を語れません。愛着は語れても、魅力はうまく語れない。
距離をとることで、魅力の期限は伸びるかもしれない
三軒茶屋を出た今、そのうちまた三軒茶屋に戻りたいなと、よく思います。
久しぶりにモテアマスで一緒だった阿部(@abemahoko)と、公園を散歩などしたい。二段ベッドで一緒に生活していた土田(@Ryotsuchida)と、カメラを構えて散歩などしたい。基本散歩ばかりしています。
僕が今思うのは、距離をとることで、その土地を好きでい続けることができるのかもしれない、ということです。
だから今のように、一つの土地に一定期間暮らしてはまた離れるのを繰り返すのは、とても心地が良いなと思っています。
好きな土地がたくさんあること、帰りたい土地がたくさんあることは、とても素敵なことなのかもしれない。
もしかしたら千葉でも、次に帰ったらまた新しい魅力が見つかるのかもしれません。
終わりに
以上です。
最近関東圏の友達から「久しぶりに会いたい」という連絡を立て続けにもらい、急に帰りたくなりました。
今日の午後は古民家の床をコーティングします。
#ぼりえっ邸 床補修部です。やけにキレイな板はもともと。 pic.twitter.com/3glGdZ33WF
— アユムハンマド@居候男子 (@ayumukizu) 2018年6月13日
また来てね!
▼この記事を気に入ってくれた方に読んでほしい記事
・若者が地方に続々と移住する未来が見えた。地方×シェアハウスの可能性
・僕としみ
▼ツイッターもフォローしてね!
ムハンマドのtwitter→@ayumukizu