こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
先日、僕より少し若い世代の方と2人でお話しする機会があり、その時に考えたことを書きます。
ざっくりいうと、イタい経験をしておいた方がいいよ、という話です。
偉そうにすみません。
イタい経験をすること
イタい経験をしておいた方がいい。
これはどういうことかというと、人からきちんとバカにされ(たような気になって)、イタいやつとして認識される経験をしておいた方がいい、ということです。
かくいう僕にも、それなりにイタい時期がありました。(今も少ならからずイタさはあるけど。)
いわゆる”意識高い人”としてSNSでガンガン発信をしていた当時の自分は、最近知り合った方にはあまり見せたくない部分です。
あの時期に、学生時代の友人が一定数離れてしまったことも知っている。
しかも結局その取り組みは、意識高いブランディングに自分自身が疲弊して、何の脈絡もないまま突然やめてしまいました。
旗のおろし方が悪かったからこそ、少し前までの僕にとってそれは「あまり触れてほしくない過去」だったと思う。
とはいえ、じゃあその経験を後悔しているかというとそういうわけではなくて。
当時考えていたことが間違っていたとは全く思わないし、いまでも当時の取り組みに対して前向きな感想をもらうことが時々あります。
単にその時の自分が、あれををやりきれるほど成熟していなかったというだけです。
そして何より、一度きちんと振り切って失敗したからこそ、今できることが増えたなと思います。
その最たるは、承認欲求との付き合い方がうまくなったことです。
承認欲求の取り扱い
承認欲求とは、「誰かから認められたい」という感情のこと。
正確な定義はあまりよく知らないけど、僕の感覚的に、承認欲求には二種類あると思っています。
一つは、「誰かから良く見られたい」という感情。
もう一つは、「誰かから悪く見られたくない」という感情です。
何かことを起こせば、誰かしら良い反応をくれる人がいます。
それと同時に、悪い反応をされることも必ずある。
これらは、何をやっていても絶対にあります。
だからこそ、承認欲求とうまく付き合うのが重要で。
特に「誰かから悪く見られたくない」という感情をうまく飼い慣らさないと、何をするにしてもスタートがきれなくなる。
そういう意味で、一度きちんとイタい奴になった僕は、「誰かから悪く見られたくない」という感情からはわりと距離を取れているなと感じます。
過去に見え方を気にしすぎて苦しんだからこそ今、周囲からどう見られるかではなくて、自分自身の納得感にしたがって物事を判断できるようになった。
自分目線で考える
そういえば、さっきこんなツイートをしました。
6割くらいわかっている事柄について「〇〇ってわかりますか?」と聞かれた時に、即座に「わかります」と言わない人に知性を感じる。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年11月11日
このツイートで言っている話も結局同じことで、6割しかわかっていないことについて、「わかります」というメリットってあまりないんです。
一時的に自分の知識の多さを相手に伝えられるけど(≒良く見られるけど)、相手がわざわざその言葉の理解度を聞いてくるからには、「わかりません」と言った方が得るものは多いはず。
相手にどう見られるかを一旦無視して完全に自分目線で考えると、6割しかわかっていないことについて即座に「わかります」という意味がないんです。
昔かいたこちらの記事でも、そんなことを書きました。
終わりに
以上です。
今日は夕方ひたすらだらだらしてしまい、18時半ごろから大急ぎでこの記事を書きました。
文が荒れている言い訳をしたくなるのは、「誰かから悪く見られたくない」という感情から抜け切れていない証拠ですね。
またきてね!
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