こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
さっき、こんなツイートをしました。
春は、自分の選ばなかった人生をやけに羨ましく思うから嫌なんだよな。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年4月15日
今日は、この話を少し。
春が怖い
これは学生時代からずっとなんだけど、僕は春があまり好きではありません。
もちろん冬が終わり外が暖かくなってくると、「春はいいなあ」と思ったりもするんだけど、ふとした拍子に、春特有のなんとも言えない気持ち悪さを感じる。
新しい生活の始まりにみんなが妙に浮き足立っていて、僕はどうも、心のバランスを崩しやすくなります。
アンガーとサッド
今は、岩手県の遠野市にきています。
先日は、偶然同じ時期に遠野にきていた柿次郎さん(@kakijiro)やくいしんさん(@Quishin)らと、市街地でお酒を飲みました。
遠野にきました。#ダニムハ岩手 #居候男子岩手 pic.twitter.com/ozzHc4jX0v
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2019年4月13日
この日特に印象に残っているのが、アンガーとサッドの話。
多くの人は心に怒り(アンガー)と悲しみ(サッド)を抱えていて、それを原動力として行動を起こす。
そんな話。
自分の中のアンガーとサッドは何か
家に帰ってからずっと、自分の中のアンガーとサッドはなんだろうかと考えていました。
今の活動(月に一回引っ越しをしながら各地の暮らしを見て回る活動)の原動力になっているのは、好奇心だと思います。
その根底には、学生時代全く好奇心を持っていなかったせいで、自分の世界が広がっていかなかったという過去がある。
好奇心を持たないと何も始まらないことを痛感したから、知らないことや、やったことのないことの多い方向に、積極的に進むようにしています。
でもこれは、アンガーとサッドとはまた違う話だろうなと。
自分を突き動かすほどの、怒りや悲しみがあるわけではないから。
そんな訳で、今朝の時点では、「僕にはアンガーとサッドがない」という結論を出していました。
春の気持ち悪さとアンガーとサッド
でも今日、外の暖かさに妙な気持ち悪さを感じて、「これが僕のアンガーとサッドだろうな」と思いました。
春は、新しい生活の始まりにみんながシャンとしていて、やけに輝いて見える。
僕の選ばなかった人生を生きる人たちが当たり前に持っている”普通の幸せ”が、妙に羨ましくなってしまう。
そういえば僕は、”普通の幸せ”に対してコンプレックスを持っていました。
「コンプレックス」というのが、言葉選びとして正しいのかはわからないけど。
就職して、結婚して、家庭を持つ。
その幸せの価値観を否定する気は全くないけど、それ以外の価値観を尊重できない奴は嫌いだ。
僕のアンガーとサッドはきっとそこにあって、だから僕は、特殊解を作るよりも一般解を作る方向にモチベーションを感じるのだと思う。
終わりに
以上です。
また来てね!
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