こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
「努力の娯楽化」という言葉が、とても好きです。
努力を努力と思わないこと(=娯楽化すること)の重要性について、説いている言葉。
また最近は、「努力の娯楽化」の次のフェーズとして、「娯楽の仕事化」が重要であると感じています。
今日は、そのことについて。
いつもより長いです。3000文字くらい。
「努力の娯楽化」とは
「努力の娯楽化」とは、一橋大学教授の楠木建さん(@kenkusunoki)が提言している言葉です。
NewsPicksに掲載されていたイベントレポートにある氏の言葉を、以下に一部引用します。
冒頭で申し上げた僕の性格というか欠点からして、僕はとくに「努力しなきゃ……」が苦手でした。ちょっと目を離すとすぐにサボる。
で、あるときに気づいたのですが、「努力しなきゃ……」とか言っている時点で、もう終わっているのではないか。「お前はすでに死んでいる」ってやつです。
そう考えるうちに、 “努力の娯楽化”という発想に行き着きました。
(中略)
僕の趣味の例で言うと、バンドでリハーサルスタジオを借りて練習するときなど、4時間くらいはあっという間です。
周囲から見れば随分と熱心に練習しているなあという話なのですが、自分たちは純粋に娯楽としてやっているので、すぐに時間が経ってしまう。まったく苦にならない。
ようするに努力の娯楽化です。
(中略)
好きなものに打ち込んでいるときには、「頑張る」というよりも「凝る」と言った方がしっくりくる。努力をするのではなく、凝る。
こういうときにこそ仕事の成果が出る。
「努力しなきゃ……」と思っている時点で、どうせ大した成果はでない。
成果を出したいのであれば、努力を努力と思わない状態(=努力の娯楽化)を目指すべきではないか、という話です。
努力をしないと、「努力の娯楽化」ができる
昨日、こんなツイートをしました。
努力は基本したくないと思っているんだけど、それは別に怠けたいからというわけではなくて。自分が努力だと思ってやってることはどうせ伸びないし、同じことを努力だと思わずやれてしまう人に絶対敵わないから。であれば、自分が努力だと思わずやれることを早く見つけて、そこに注力した方が絶対良い。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年9月8日
これはまさに、「努力の娯楽化」の話です。
僕は自分が「努力」だと感じることについては、積極的に辞めるようにしています。どうせ伸びないから。
だから僕はここ最近、ほとんど努力をしていません。
でも本当に不思議なことに、努力をしなくなるにつれて、「木津は努力家だよね」と言われてしまう機会が増えたような気がします。
古くから僕のことを知っている友人よりも、比較的付き合いの短い友人からちょこちょこ言われる。
彼らが僕のどの部分を見てそう言ってくれているのかわからないし、正直僕は自分のことを努力家だとは全く思っていません。
でも重要なのは、そこじゃないんだろうなと。
「僕が努力家であるか否か」は多分そんなに重要でなくて、本当に重要なのは、「僕が努力だと思っていないことを努力として見てくれる人がいる」ということなんだと思います。
自画自賛になってしまい恐縮だけど、そういう意味では僕は、楠木さんのおっしゃる「努力の娯楽化」ができている状態なのかもしれません。
「娯楽の仕事化」が必要である理由
そして、最近思うのは、「努力の娯楽化」の次のフェーズとして、「娯楽の仕事化」をしていく必要があるんだろうなということ。
例えば僕が会社勤めをしていて、その会社から与えられる仕事を娯楽として取り組めるのであれば、「努力の娯楽化」だけしていれば十分なんだと思います。
でも僕の場合は次のフェーズとして、「娯楽の仕事化」をしていかないといけない。
呆れるほど当たり前の話なんだけど、「努力」だけでは飯が食えません。
きちんと仕事化してお金を稼がないと、いつしか餓死(うえじに)してしまう。
兵庫で限界までお金がない状態を経験して、初めてそれを頭ではなく感覚として理解することができました。
参照:お金がなくて怖いこと
自分が「娯楽」だと思っていることを、「努力」として捉えてくれる人がいるのであれば、
自分が「娯楽」だと思っていることに、「価値」を感じてくれる人もいるはずで。
その「価値」を自分からきちんと提示することができれば、「娯楽」を「仕事」にしていくことはできない話ではないんだろうなと感じています。
兵庫で感じた「価値」のギャップ
“自分が「娯楽」だと思っていることに、「価値」を感じてくれる人もいるはず”
これをなんとなく理解できたのは、僕が兵庫県香美町にいる時です。
「いい加減仕事をつくらないとそのうち死ぬ」と思った僕は、香美町で出会ったあらゆる人に、地方が抱えているニーズを聞いて回りました。
香美町役場の地域おこし協力隊担当の方に話聞いてる。移住以外の方法で地域に貢献する方法の模索。 pic.twitter.com/MSyIlkmsE8
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) 2018年8月29日
その中で感じたのは、僕と地方との間にある「価値」のギャップ。
僕が当たり前にやっていることを、「価値」として捉えてくれる人がいるということ。
詳細はここでは触れないけど、「娯楽の仕事化」に向け大きな可能性を感じました。
「価値」として捉えてくれる人がいるのであれば、あとは営業力の問題だと思っています。
きちんとメリットを提示して、お互いに納得感を持って仕事化すること。
こういう”営業の勉強”が僕は全然できていなかったことを痛感しつつも、まあ、やるべきことはやるしかありません。
参照:「仕事をつくる」を経験しないと、お金の呪縛から逃れられない
終わりに
以上です。
僕は、「娯楽の仕事化」がまだできていません。
自分がまだできていないことについて偉そうに書くのはかっこ悪いなあと思いつつ、とりあえず書いてみました。
「やりたいことをやって生きる」は、絶対に実現できると思っています。
でも「世の中そんなに甘くねえぞ」という言葉も、全くの嘘というわけではありません。
「やりたいことをやって生きる」ためには、「世の中そんなに甘くねえぞ」を超えていく必要がある。
であれば、「娯楽の仕事化」というフェーズから目を背けるわけにはいかないんだと思います。
また来てね!
▼この記事を気に入ってくれた方に読んでほしい記事
・「仕事をつくる」を経験しないと、お金の呪縛から逃れられない
▼『毎日更新倶楽部』のメンバーを募集しています
▼ご連絡はお問い合わせページから
>>お問い合わせ
▼ツイッターもフォローしてね!