こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
自分を認めるから前に進める
どんなに優秀でも、自分のことを認めてあげられない人がいる。
「対価に見合うだけの働きができていない」
「やっている人はもっとやっている」
「自分はまだまだ甘い」
自分に厳しい人のことが、僕は総じて好きです。
現状に満足することなく常に上を見続けるその姿勢を、僕は心から尊敬している。
ただ自分に厳しいあまり、その人が自分の至らなさに気を落としてしまっている場面をみると、少しもったいないなと感じます。
「もったいない」なんていうのは、おこがましいのかもしれないけど。
もっとなんというか、至らない自分を認めてあげてもいいんじゃないかと思う。
/
大前提として僕は、生きることは暇つぶしだと思っています。
感性が効いているうちに、五感を通じて心を動かして遊ぶ。
そしてこれは、言い方はどうあれ、誰に対しても共通して言える一つの真実だと思っています。
心はなるべく「楽しい」だとか「嬉しい」だとか「充実している」だとか、そういうプラスの方向に動かしたい。
仮に「悔しい」だとか「情けない」だとかそういうマイナスの方向に動くことがあったとしても、それは”そういうエンタメ”だと思って心の動きを見てる。
所詮は暇つぶしだから、誰かを勇気付ける必要も、社会をよくする必要も、何者かになる必要もない。
もっというと、何かを頑張る必要もない。
その前提の上で、頑張った方が人生がよりおもしろくなるのなら、頑張ればいいと思う。
/
つまり何がいいたいかと言うと。
そんなに自分を責めなくてもいいと思う。
変わろうとしなくても、今のままで十分に美しいと思う。
頑張っている人と比べて自分を責めてしまうのは、頑張っていること自体に価値があると思っているからだ。
頑張って結果を出すことが人の価値だと、相変わらず心のどこかで思っている。
確かに、頑張る人は素敵だと思う。
頑張れば頑張るほど結果が出て、結果が出た自分を認めてあげることができて、また頑張る気力が沸いてくる。
とても良いサイクルだ。
でも一つわかっていて欲しいのは、頑張って結果を出したことを理由に自分を認めているうちは、どこかで無理が生じるということ。
どんなに頑張っても、結果が出ない時は出ないから。
結果が出ないのは自分の努力不足だと考えるのは間違ってはいないけど、そればかりだと疲れてしまう。
今の自分を認めることは、向上心を失うこととはまた別の話だよ。
終わりに
以上です。
また来てね!
▼初めての方はこちらから
>>居候男子ムハンマドのプロフィールと当ブログ『居候男子』について
▼『毎日更新倶楽部』のメンバーを募集しています
▼「木津に会ってみたい」は『レンタル男子』から
>>レンタル男子(ショップページ)