こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
少し前に、こんなツイートをしました。
「誰かが読んでくれている」という前提で書ける場所に価値があるのと同じように、「誰にも読まれていない」という前提で書ける場所にもやはり価値があるなと思う。誰にも読まれていない前提で、誰にでも読める場所に書くからこそ、自分の一番ピュアな気持ちを人に伝わる形に変換できる。
— 木津 歩|地方複住 (@ayumukizu) May 12, 2020
今日は、この話を少し。
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このブログで最後に記事を書いたのは、今年3月の頭です。
そのあと所属しているオンラインサロン『waseisalon』でひっそりと記事を書いたことはあったんだけど、今回のように、誰にでも見えるカタチで記事を書くのはおよそ2ヶ月半ぶりになります。
ちょうど1年前は毎日ブログを更新していて、毎日更新を終えてからもしばらくは週1での更新を続けていた僕としては、2ヶ月半ぶりともなると「かなり期間があいたなあ」という感じがする。
だから僕にとって、今日の更新は「久しぶりの更新!」ということになるのだけど、この記事は、「何か世に向けて発信したいことがあって重い腰を上げて書いている」という類のものではありません。
正確にいうと、”何か世に向けて発信したいことがあって重い腰を上げて書いている記事”を途中まで書いたところで中断して、今ダラダラとテキストを打っている。
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思考の言語化には、大きく2つのフェーズがあると思っています。
1つは、自分の内側にある思考を外側に取り出すフェーズ。
まだ実体のない頭の中の思考を、なるべくそのままのカタチで言葉にすること。日常の中でなんとなく感じている違和感や不安を、気心知れた友人に飲みながら話すようなイメージです。
もう1つは、外側に出した言葉を整えるフェーズ。
前のフェーズでポツリポツリと出てきた思考のカケラみたいな言葉たちを、伝わりやすいように整理・装飾すること。これはいうならば、上司や取引先に対し要点をまとめて順序よく話すようなイメージです。
ちなみにブログやSNSでの発信は、このどちらにもなり得ます。
誰かに「読まれている」意識で書けば後者(整えるフェーズ)に寄るし、逆に「読まれていない」意識で書けば前者(取り出すフェーズ)に寄ることになる。
どちらがより重要という話ではなく、どちらも重要だという話です。
僕がさっきまで書いていた”重い腰を上げての”記事は、「読まれている」意識が強すぎたように思います。
言葉を”整えること”に集中しすぎて、思考を純粋なまま”取り出すこと”が上手くできていなかった。
であるならば、まずは僕自身が、「読まれていない」意識を取り戻すためのアクションが必要です。
そんな意図で、今日この記事を書きました。
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以上です。
本当はこの記事だって、こんなに時間をかけて書くべきではなかったんです。
ちゃちゃっと20分くらいで書きたかったのに、気付いたら1時間も経ってしまった。
これもまた、僕が「読まれていない」意識を失ってしまっている証拠だなと思います。
またきてね!