昔の話

モラトリアムの覚書-20161204

 

1月からしばらくの間、世田谷区の設計事務所でお世話になります。ご夫婦二人でやられている、規模こそ小さくもとても素敵なアトリエです。

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僕は今年の3月に仕事を辞めてから今に至るまで、定職についていません。仕事を続けていたら今頃何を考えているんだろう。時々そんなことを思います。

会社勤めをしていた当時、組織に所属せずにフリーでやっている人のSNSを見て感じていた、あのなんとも言えない気持ち。鬱陶しいような、羨ましいような、気持ちが悪いような。

僕には3年目を踏ん張っている人の気持ちはわかりません。でもその僕が感じていたような気持ち悪さを、もしかしたら今誰かにも感じさせてしまっているのかもしれないなと、少なからず感じます。だからSNSでなにかを発信することを、正直しんどいと思うこともある。

それでも僕が未だに何かを発信したいと思うのは、よくわからないものに対する気持ち悪さは、ちゃんと対話することによって簡単に払拭できると思うからです。

なんだかよくわからないものを気持ち悪がって、批判する文化はやっぱりある。それはある集団の中で自分の意見を主張しづらいっていうことにつながっていて、窮屈さを感じる土壌をつくっているような気がする。

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僕は一年間モラトリアムみたいな時期を過ごしてみて、組織に依存しなくても飯が食えるようになりたいと思うようになりました。

そのために、「収入源を多角化する」みたいなことを考えているんだけど、その話はまた別の機会に書きます。

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早いもので、僕たちも25の歳になりました。

アラサーだなんていって急に歳を感じ出す人もいるけれど、それについては間違っていると断言できる。僕らはお話にならない程若いし、社会の中ではまだまだルーキーです。その気になれば何だってできる。

世の中そんなに甘くねーぞっていう人もいっぱいいるけど、なんとかなるよって言ってくれる人もいっぱいいる。

なんとかなるよ。なんとかするしかないじゃない。

 

終わりに

 

以上です。

振り返り時の参照用に、昔別の媒体で書いた記事をコピペしています。

また来てね!