こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
今年の5月から、石川県の珠洲市に住んでいます。
先週からは、友人の土田が珠洲に来てくれている。
土田が来ました。
夢の共演感ある。#居候男子珠洲 pic.twitter.com/NJ1jVUARPp
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) August 6, 2020
今日は、この1週間で考えたことをつらつら書いていきます。
やや長いですが、見出しごとに内容が完結しているので、見出しを見て気になったものだけ読んでみてもらえると嬉しいです。
「ワーケーション」に係る懸念点。他
8/3から8/9までの備忘録です。
Twitterに隙がなくなってきた。
先日、友人とTwitterのDMでやりとりをしている時、こんな話をしました。
「初めて絡んでからなんやかんやもう2年ですな。」
「そういえば俺、最近こういう”インターネットの友達”、新しくできること減ったわ。」
「ああ、それはわかるかもしれない。」
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実はその友人とは、2年以上付き合いがありながら、実際に会ったのは一度だけです。
しかもその一度も、話をしたのは1時間に満たない程度だったと思います。
それでも、ずっと仲が良い。
僕にはこういう、実際にはほぼ会ったことがないけど、主にインターネット上で仲が良い人というのが何人かいます。
別に怪しい感じではなく、共通の知り合いが多かったり、なんとなく界隈が近かったりする人ばかりで、リアルの友達と何も変わりません。
もちろん、インターネットで知り合ってその後リアルの友達になった人もたくさんいるけど、僕の中でずっと「インターネットの友達」なままの人もいます(優劣の話ではなく)。
そんな「インターネットの友達」が、今年になってからはあまり増えていないような気がしています。
(考えてみれば)オンラインコミュニティを通じて知り合うことはあるけれど、それとはまた少し毛色の違う、SNS経由でのいわば「野生のインターネットの友達」ができることは本当に少なくなった。
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そんなことを考えている時、友人のぼりさん(@borilog)が、自身のタイムラインでこんなツイートをしていました。
— ぼりさん@わがままボディ改造中 (@borilog) August 3, 2020
ツイートの前後関係など一切なく、テキストも添えずにこの画像一枚。
彼が僕をタグ付けしていたので、僕は無言でリツイートをしました。
そんなやりとりをして僕は、「ああ、今年なくなったのはコレか」と思いました。
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“今年なくなったコレ”とはつまり、ガチガチの内輪ネタです。
飲みの席の勢いで投稿するような、説明不足の内輪ネタ。
#鳥井弘文あるある pic.twitter.com/C9fnicBU1f
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) November 8, 2018
いうまでもなく今年はウイルスの年で、そういうリアルでの悪ふざけができなくなりました。
仮にできたとしても、SNSにはとてもじゃないけど投稿できません。
別に狙ってやっていた訳ではないけど、こういうある種の内輪ネタが、その人の人間性が垣間見える要素であり、同時に隙(スキ)だったんだろうなと。
そしてSNS上に見える隙こそが、「インターネットの友達」を引き寄せるフックとして機能していたんじゃないかなと、最近ぼんやり感じています。
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ちなみにこれは、以前こちらの記事で書いたこととも近い話です。
参考:ネットとリアルの境目がなくなり、TLに”きちんとした人”が溢れる
(終)
「ワーケーション」に係る懸念点。
以前にも別の記事で触れた通り、最近「ワーケーション」に注目が集まっています。
リゾート地や温泉地、あるいは地方部でテレワークをするこの「ワーケーション」について、賛否様々な声が上がっているようですが、僕は基本的に賛成です。
特に地方移住の文脈で考えた時、
・フリーランスとして場所を選ばない働き方をする。
・地方部で仕事を見つける/作る。
といったこれまでの選択肢に加え、ある意味でマス向けの、新たな選択肢が生まれたことは間違いない。
ただ一方で、今のまま「ワーケーション」が拡がっていくと、多くの実践者が失敗してしまうだろうなあと思っていて。
それが、都心部での働き方をそのまま地方に持ち込んで消耗する、というパターンです。
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ちょうど今朝、こんな記事を読みました。
参考:東京から1240km離れた五島列島でもリモートワークできるが、やらない方がいい。-子連れワーケーションの理想と現実ー
以下に一部引用します。
普通に仕事をするなら、子育ては家の方が何倍も楽だし、自分のオフィスの方が効率的だ。ワーケーションは仕事の効率を上げるためにいってはいけなかった。
今回の実証実験をキッカケに、新しい仕事を五島の人と一緒に作るというのが一番五島でするべき仕事だったのに、私がそれに気が付いたのは本当に最後の最後だった。
本当にこの記事に書いている通りなのですが、今までと同じように”普通に”仕事をするならば、慣れている場所でした方がずっと効率が良いです。
「自然環境豊かな場所にいると生産性が上がる。」
という声を聞くこともあるけれど、僕はその理論をあまり信用していません。
野外はMTG時お互いの顔がよく見えないし、遅くまでやっている電源カフェは少ないし、地域行事への参加や畑仕事をしようものなら事務作業に割ける時間は確実に少なくなります。
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とはいえ冒頭に書いた通り、僕はワーケーションの取り組みには基本的に賛成です。
自然の中を歩くことは確かに心の豊かさを取り戻すだけのパワーがあるし、地域行事に参加することは都心部が失ったエリアコミュニティの価値を思い出させてくれる。
そんな暮らしを手に入れるための手段としての「ワーケーション」には、僕は全面的に賛成しています。
ワーケーションを実践する上で大事なのは、都市部での仕事の仕方をそのまま再現しようとしないことです。
会社員だったら、10-18時と時間を決めて働く雇用形態から、業務内容を明確化し労働時間は各自の裁量に任せるジョブ型雇用に切り替える(もちろんこれは、個人の意思で簡単に切り替えられるものではないけれど)。
フリーランスだったら、どこでもできる仕事と並行して、その地域で仕事をつくることを考える。
KDDIが正社員に対し成果で評価する「ジョブ型雇用」を導入。さらに、勤務必須の時間をさだめる「コアタイム」の廃止も検討してるらしい。「ワーケーション」に注目が集まるけど、観光地で10時から18時まで働いて夜は温泉ウェイ!だとあまり意味がないので、良い流れだと思う。https://t.co/klVaQrZ6VA
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) July 31, 2020
面白い記事。「ワーケーション」に注目が集まるけど、どこでもできる仕事"だけ"を地方でやってても豊かな生活にはならない、という体験談。→"新しい仕事を五島の人と一緒に作るというのが一番五島でするべき仕事だったのに、私がそれに気が付いたのは本当に最後の最後だった"https://t.co/8P9c8wULr4
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) August 9, 2020
都心部での”仕事”とワーケーション先での”生活”とをハッキリ二分させるのではなく、両者の境界線をなくし相互作用を生み出すようなライフサイクルを目指していかないと、ワーケーションはまず上手くいきません。
逆にそれができたなら、「ワーケーション」は我々日本人の”人生の生産性”を大きく向上させうると思っています。
(終)
「書きたいこと」をさっさと書き切る。
最近ぼんやり考えているのが、「今ブログを書いているのは、頭の中に溜まっている古い思考を外に掻き出している状態だなあ」ということ。
今日は、この話を少し。
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以前waseisalonの鳥井さん(@hirofumi21)が、こんなブログを書いていました。
参考:僕がブログの秘訣を聞かれても「とにかく続けてください」としか言わない理由。
以下に一部引用します。
「ブログをこれから始めようと思っているんです!」っていう人によくありがちなのが「こんなネタを書こうと思っているのですが、どう思いますか?」という質問。
そんな時に、僕が必ず答えるようにしているのは「一刻も早くその書きたいと思ってるネタを、全部書ききっちゃってください。そして、もう書くものがないっていう状態に自分を追い込んでください。その時に絞りだすように書いたネタが、本当にあなたが書きたいものですから」と。
この話をはじめに読んだ時、「はて、これはどういう意味だろうか」と思ったのが正直なところなのですが、長いことブログを書くのをサボっていた今、ここで書かれていることが痛いほどよくわかります。
最近の僕が書いているのは、ここ数ヶ月溜めていた「書きたいこと」を排出しているだけ。
自分が本当の意味で手応えを感じるようなことを書けるのは、溜まってしまった「書きたいこと」を書き切って、空っぽの頭で自分に向き合えるようになったその先です。
そこに至るまでは、淡々と「書きたいこと」を書いていくしかありません。
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また「書きたいこと」を書き切って、自分の頭を空っぽにできると、日常から得られる情報量も圧倒的に多くなります。
特に習慣的にブログを書いていると、「さて今度はどんなことをブログに書こうか」と常にアンテナを立てている状態になるので、同じことを見聞きしても、より多くの学びを得られるようになる。
これはもしかしたら、習慣的にブログを書いたことがある人にしかピンとこない感覚かも知れませんが、僕の中では確信のある話です。
なんなら習慣的にブログを書くことの一番の価値は、この辺りにあると僕は思っています。
(終)
終わりに
以上です。
余談ですが、少しずつ1つ1つの記事を書く時間が短くなってきました。
これは技術的なことというよりか、精神的なことによる影響で、非常に良い傾向です。
またきてね!