週刊居候男子

個人のビジョンに向けた過去の棚卸し①他

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

約1年半、『居候男子』という肩書きで月一引越しの移動生活をしていた僕は、移動生活は2019年いっぱいで一旦終わりにして、今は都内で会社に勤めています。

「会社に勤めています」とはいっても、業務委託でフリーランスという身分であることは変わらず、またはじめの3ヶ月は”試用期間”という扱いになるので、どこか「居候男子会社編」という心持ちでいる。

所属している組織の詳細は、以下の記事をご覧ください。

参照:事業研究開発の『Pathfinder』にジョインすることになりました。

 

今日は、この1週間で考えたことをつらつら書いていきます。

やや長いですが、見出しごとに内容が完結しているので、見出しを見て気になったものだけ読んでもらえると嬉しいです。

個人のビジョンに向けた過去の棚卸し①他

2/10から2/16までの備忘録です。

個人のビジョンに向けた過去の棚卸し①

少し前から、僕自身の「個人のビジョン」について改めて考え直しています。所属している組織のビジョンとはまた別に、個人としての自分が掲げるビジョン。

詳細は、以前書いたこちらの記事をご覧ください。

参考:個人のビジョンを考えるイントロ。

参考:個人のビジョンの定義を考える。

 

今回は、「個人のビジョンに向けた過去の棚卸し」ということで、これまでの自分の人生を簡単に振り返ってみることにしました。

(「簡単に」と言いながら書いていたらそれなりに長くなってしまうことがわかったので、数回に分けて書きます。)

 

▼幼少期

1992年(H4)2月に、母の故郷である埼玉の病院で産まれました。

生後から数年は東京都江戸川区で生活し、3才くらいのタイミングで、僕がもっとも長く時間を過ごした千葉県・船橋市のマンションに引っ越します。

社会人になって一人暮らしをはじめるまでは、ずっとこの家で過ごしました。

 

家族は父、母、僕の三人構成で、父は船の雑誌の編集者、母は専業主婦でした。

特別に裕福な家庭だった訳ではありませんが、特に不自由もなく、また父が40の時に産まれた子供だったこともあってか(?)、あまり厳しく育てられたという記憶はありません。

いくつか習い事の体験に連れて行かれたり、「中学受験をしないか」と言われたこともありましたが、僕はなぜか「行きたくない」の一辺倒で、習い事や中学受験はしませんでした。

 

ただ、小学生の時に両親がお土産で買ってきてくれた雑誌『ボードゲーム天国』にはドハマりし、ボロボロになるまで読み込んだことをよく覚えています。

参考:貴重なボードゲーム本「ボードゲーム天国(パラダイス)」(外部リンク)

 

▼小学校〜高校時代

学生時代については、正直「コレ」というエピソードがほとんどありません。

特に何かに没頭することもなく、「普通の子供だった」というよりか、今の自分の言葉で言えば、「タグの少ない子供だった」と思います。

中学3年間陸上部に入っていた以外は、特に長く続けたスポーツや音楽活動、趣味もなく、「当時の自分と言えばコレでした!」といえるような、わかりやすい”タグ”がなかった。

誰に言われたか忘れたけど、親戚だか教師だかの誰かから「君は知的好奇心がない」と言われたことがあって、それはとても的を得た言葉だったあなと思っています。

 

また僕のそんな姿勢に拍車をかけたのが、高校時代の友人の言葉。

「大事なのは授業を聞くことじゃなくて、大学に受かることでしょ?」

学校の授業を全く聞かず、先生に怒られながらも黙々と受験勉強をしていた彼の言葉には迷いがなく、「確かにそうだよなあ」と思わせる力がありました。

 

その時期に僕は、良くも悪くも「目的からの逆算主義(寄り道排除主義)」がより一層強くなって、「意味のあることしかしない」という知的好奇心の真逆を行くような行動指針を持つようになりました。

そしてこの考えは、大学生、社会人になるまで続きます。

 

▼大学時代

大学では、建築の勉強をしていました。

夜遅くまで建築の模型を作ったり、小難しい哲学書を読んだりして、ここで初めて僕は、「表現/クリエイティブ」の世界に足を踏み入れた。

 

大学では、勉強ができるだけじゃない、本当の意味で「頭のいい奴」にたくさん出会いました。

僕が建築学部に入ったのは、「数学と物理が得意で、他の学部よりかっこ良さそう」というだけの理由だったんだけど、同じ学部には、「建築家になりたい」「まちづくりに関心がある」という理由で建築学部にきた奴らがたくさんいた。

そこの意識の差はアウトプットの差に直結していて、「どうしたらこんなことを考えられるんだろう」と羨ましく思うと共に、あまり面白くない気持ちになっている自分もいました。

小難しい言葉をわかったフリをしながら使い続ける自分に疲れてしまい、「アカデミックな建築はつまらない」というもっともらしい理由を付けて、大学院には進まず逃げるように就職をしました。

 

救いだったのは、4年次の研究室で良い仲間に恵まれたことと、同じく研究室で恩師と呼べる存在に出会えたこと。

研究室で指導をしてくださった川向先生は、厳しいことで知られる先生でもありましたが、卒業論文の指導を通じて「表層ではなく本質を捉えようとする姿勢」を僕に授けてくださいました。

ここで培われた姿勢は、今もずっと自分の武器になっていると思っています。

(終)

個人のビジョンに向けた過去の棚卸し②

(以下、『個人のビジョンに向けた過去の棚卸し①』からの続きです。)

▼就活時代

就職活動を経て、僕はいわゆる「住宅メーカー」と呼ばれる会社から内定をもらい、そこに就職をすることにしました。

 

ちなみにこの会社に就職することを決めたのは、大学院を出ていなくても建築設計の仕事ができる住宅業界の中で、もっとも給料が高い会社だったからです。

高校時代から「目的からの逆算」を強く意識しており、また建築学科で幾多のプレゼンテーションの機会に揉まれた僕は、「帳尻を合わせる力」と「面接力」に秀でていたようで、就活が得意でした。

5社あった志望企業のうち3社から内定をもらい、1社から最終面接の案内がきた頃に、就活を終えました。

 

そんな「上手くいった」という背景もあり、また学生時代は部活動にそれほど身を入れていなかったことも相まって、会社に入ってからの”不適合”は、僕にとって人生で初めての明確な挫折でした。

 

▼新卒時代

新卒で入社した会社では、初めの一ヶ月は同期100名強で共同生活をしながらの研修を行いました。

「人事から常に見られている」というプレッシャーと、慣れない共同生活によるストレスで、僕は研修が始めって最初の1週間でメンタルの調子を崩してしまい、人がたくさんいる空間で上手く声が出せなくなりました。

心身の不調は研修が終わって支店に配属されてからも続き、しばらくはメンタルクリニックに通いながらなんとか出社をしていました。

就職活動は上手くいったからこそ余計に、「せっかくいい会社に入れたのに不甲斐ない、悔しい」という気持ちに毎日押し潰されそうになっていたことを、今でもよく覚えています。

 

入社から半年ほどが経った頃には、職場の環境にも慣れ、心身の調子もだいぶ良くなっていました。

ただ、ちょうど僕が入った年に支店が全国一位の売上成績を叩き出したこともあり、労働環境はなかなかに過酷で、仕事が終わらず会社に泊まったり、「1時間だけでも寝よう」と会社近くの漫画喫茶やラブホテルに泊まる日もありました。

でも、この時期はもうメンタルの不調を乗り越えたあとだったので、辛いながらもそんな状況をどこか楽しんでいる自分もいました。

 

そんな嵐のような社会人生活を1年半ほど過ごした頃に、25歳前後の多くの人が抱くのと同じように、「このままでいいのかな…?」と考えるようになります。

学生時代の友達と酒を飲むたびに、「いつか会社辞めてやろうぜ」と勇み合うのにも飽きてしまい、一級建築士の受験資格を得られる「実務経験2年」を節目に、会社を辞めることにしました。

 

【補足】仕事をあっさり辞めた理由

僕がこの時あっさりと会社を辞めてしまった理由について、時々人から尋ねられるので、少し補足をしておきます。

 

まずは、一級建築士の受験資格を得られる「実務経験2年」という明確な区切りがあったこと。

この区切りがあったからこそ、「2年は頑張ろう」「逆に2年以上は頑張る理由がない」と考えていました。

 

それから、高校時代から続く「目的からの逆算主義」に限界を感じたこと。

高校時代は「良い大学に入ろう」、大学時代は「良い会社に入ろう」と思っていた僕は、実際会社に入るまではこれといった大きな失敗はしませんでした。

大きな失敗をしていない状態で、その時の自分の人生に100点満点を出せないのであれば、何か根本からアプローチの方法を変える必要があるんじゃないか、と考えました。

 

あとは、「会社を辞めた」先駆者が身近に2人いたこと。

中学時代よく遊んでいた高島聖也(@seiyatakashima)は、僕が仕事を辞める前に東京の会社を辞め、茨城県稲敷市の地域おこし協力隊として活躍していました。

また、高校時代の同級生である土田凌(@Ryotsuchida)は、仕事を辞めてフリーのカメラマンとして仕事を増やし始めている時でした。

2人の活躍は僕が仕事をしている時からSNSでよく見ていて、「仕事辞めても何とかなるな」という根拠のない自信が僕の中で培われました。

 

僕は仕事を辞めてからのことを決める前に、いわば”勘で辞めた”クチなのですが、それにはこんな背景がありました。

 

/

もともとこの記事では、1社目だけでなく2社目のことまで書いてしまおうと思っていたのですが、やはり思いの他長くなってしまったので今回はここまでとします。

 

先ほども書いた通り、新卒で入った会社の労働環境はなかなかに過酷で、その後書いたブログでは「死にたくなるほどつらかった」という記述もしているのですが(実際つらかったんだと思うけど)、この2年間で教えていただいた「仕事の基礎」は、ずっと僕の基盤になっています。

特に当時設計課の主任だった方には随分面倒を見てもらい、その後僕が『hyphen,』というチームを作った際に後輩(?)ができたり、『田舎フリーランス養成講座』で講師を務めたりする中で、彼がいかに僕のことを考えて指導にあたって下さったかがわかりました。

 

次回は会社を辞めてフラフラしていた時のことや、シェアハウス『モテアマス三軒茶屋』でのこと、それから建築設計事務所で勤めていた時のことを書く予定です。

(終)

時給型半リモートワークにまつわる所感。

僕はいま『Pathfinder』という組織で働いており、リーダーの岸本さん(@kishi_nihongo)の付き人のような役割を担っています。

現在は試用期間であり、また僕のようなポストが今までなかったということもあって、働き方や契約形態については一旦”仮決め”という状態で走ってる。

具体的な働き方としては、タイトルにもあるように、「時給型半リモートワーク」という形態を取っています。

 

ここでは、この話を少し。

仮決めの状態ではあるものの、今の働き方はかなり良いなと思っているので、所感を少し書き留めておきます。

 

▼半リモートワークについて

まずは、半リモートワークについて。

Pathfinderは大崎にオフィスがあるものの、出勤義務がある訳ではありません。

実際、僕がチームに参加してから1ヵ月半ほどが経ちましたが、他のPathfinderメンバーにオフィスで会ったことは数えるほどしかありません。

オフィスで打ち合わせをすることもありますが、ZOOMアプリ等を使ってオンラインでMTGを行うことも多いです。

 

また僕自身、岸本さんの打ち合わせに同席したり、視察としてイベントに参加したりする時以外は、特に勤務場所についての指定もありません。

フリーランスとして活動していた時と同じように、週の半分くらいは最寄りのカフェやコワーキングスペースなどで仕事をしている。

 

そんな訳で、僕は組織人として初めて(半)リモートワークをしているのですが、極めて快適に働くことができています。

快適さの理由については、以下のツイートに書いた通りです。

 

▼時給型という働き方について次に、時給型という働き方について。

現在僕は、「実際月にどれくらいの時間稼働するのか」という確認の意味もあり、給与(請求金額)については稼働時間を時給で換算して決めています。

オフィスに出勤した時は「オフィスにいた時間」を、出勤しなかった時は「Pathfinder関連業務に使った時間」を、それぞれ簡単な業務内容と共に記録し、稼働時間として計上している。

 

今このブログを書いているのは、この「時給型」という働き方が、(少なくとも働き手側から見れば)当初僕が考えていた以上に素晴らしいなと思ったからです。

特に僕のように、記事執筆やデザインといった「成果物納品型」でない働き方をする人にとっては、この時給型という働き方はかなり適応性が高いと思っています。

 

まず、所属組織以外の業務を並行して進めやすいこと。

今僕はそれほど色んな仕事を掛け持ちしているという訳でもないのですが、それでもPathfinderの仕事以外に、兵庫県香美町との『関係人口契約』にかかる仕事があったり、イベントの企画や登壇の話があったり、また個人の活動としてブログも書いたりしています。

Pathfinderの仕事が時給型であることで、一日の中で「Pathfinderの仕事をする時間」と「個人の活動をする時間」とを自己判断でやりくりできるので、所属組織の仕事/個人の活動問わず、一つ一つの業務が滞りにくいなと感じています。

「そんなのは働き手側の都合じゃないか」

と言われてしまえば確かにその通りだけど、個人の活動が巡り巡って所属組織の仕事に繋がることは僕の中である種の確信があるし、実際問題複業が当たり前になるこれからの時代においては、一つの仕事に拘束されて他の仕事の対応が遅くなるという事態は、極力避けるべきだろうと思っています。

 

また、所属組織の仕事を進捗ベースで進めやすいということも、時給型の大きなメリットだと感じています。

例えば「これは月曜の朝までにやっておきたいなあ」という仕事であれば、土日にサクッとやってしまうこともある。

「休日も働くの?」

と感じる人は、このブログを読んでくれている人にはそんなに多くないんじゃないかなと思うんだけど、休日働くことについて僕は一切の抵抗がありません。

むしろ「働く日」と「働かない日」をハッキリと分けることの方が苦手で、仕事の進捗ベース、また自分のモチベーションベースで平日/休日関係なく働いた方が、効率も良いだろうと思っています(実際平日ほとんど働かない日もある)。

 

/

ここでは、今の自分が実装している「時給型半リモートワーク」という働き方について少し書いてみました。

もちろん2つ目にあげた「時給型」という働き方には、

・価値を出したか否かに関わらず給与が支払われる
・仕事が非効率な人ほど給与が上がる

など問題はあるにはあるのですが、そこは働き手側のプロ意識や条件面の調整でカバーできる部分な気がしていて、それよりも適応性の高さの方が目立つなと感じています。

(終)

終わりに

以上です。

当ブログでは現在、所属しているオンラインサロン『waseisalon』で僕が投稿している記事に、少し編集を加えて転載しています。

だから今回みたいに『個人のビジョンに向けた過去の棚卸し』の①と②がやや不自然に並ぶこともあったりするんだけど、お許しくださいまし。

また来てね!