週刊居候男子

「飾らない自分でいること」の難しさ。他

こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。

 

約1年半、『居候男子』という肩書きで月一引越しの移動生活をしていた僕は、移動生活は2019年いっぱいで一旦終わりにして、今は都内で会社に勤めています。

「会社に勤めています」とはいっても、業務委託でフリーランスという身分であることは変わらず、またはじめの3ヶ月は”試用期間”という扱いになるので、どこか「居候男子会社編」という心持ちでいる。

所属している組織の詳細は、以下の記事をご覧ください。

参照:事業研究開発の『Pathfinder』にジョインすることになりました。

 

今日は、この1週間で考えたことをつらつら書いていきます。

会社で起こったことに限らず、あくまでも「この1週間で自分が考えたこと」について書く。

やや長いですが、見出しごとに内容が完結しているので、見出しを見て気になったものだけ読んでもらえると嬉しいです。

「飾らない自分でいること」の難しさ。他

1/13から1/19までの備忘録です。

健やかな人間関係を築くために。

少し前に、こんなツイートをしました。

 

もしかしたら、このツイートを見た方の中には、

「誰かと健やかな人間関係を築くためには、自分自身がもっとリスペクトに値する人間になる必要があるんだな。」

と考えられた方もいるかもしれません。

お互いがきちんと目標を持って、目標に向けて努力して、そんな姿をリスペクトし合えているから、健やかな人間関係が築けるのだと。

 

実際、先日お会いした方に何気なくこの話をしてみたところ、

「そうですよね!僕ももっと頑張ろうと思います!」

と言われてしまった。

 

でも、それはちょっと違うなと。

正直、自分の意図がうまく伝わらなかったなと思いました。

 

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お互いが相手に対してリスペクトの気持ちを持っていることが、健やかな人間関係に繋がる、

仮にそうだとして、相手に自分のことをリスペクトしてもらう方法なんて、基本的にはありません。

確かに然るべき努力をして、相応な結果を出していれば、リスペクトしてもらえる可能性は高まるのかもしれないけど、そこは自分のコントロールの範疇ではないはずです。

 

お互いが相手に対してリスペクトの気持ちを持っていることが、健やかな人間関係に繋がる、

この仮説に対して自分ができることは、自分が相手に対して最大限のリスペクトを示すことしかありません。

親しき仲であったとしても、相手のことを軽く見ない。

 

人に自分のことをリスペクトしてもらう方法がもしあるとするならば、まずは自分から、目の前の相手に対して最大限のリスペクトを払うことしかないと僕は思います。

(終)

「飾らない自分でいること」の難しさ。

先日、打ち合わせの後に上司の岸さん(@kishi_nihongo)と喫茶店で話していて、「分人主義」についての話になりました。

ここでは、この話を少し。

 

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分人主義とは、小説家の平野啓一郎さん(@hiranok)の著書、『私とは何か 「個人」から「分人」へ 』の中で出てくる思考概念です。

ざっくりいうと、「個人」は複数の「分人」の集合体であり、関わる人やコミュニティによって様々な分人を使い分けている、という考え方。

例えば家にいるときは「分人A」、会社にいるときは「分人B」、オンラインコミュニティにいるときは「分人C」というふうに使い分けが行われていて、そこに確固たる「個人」は存在しない、という主張。

 

といっても、僕も平野さんの書籍を実際に読んだことがある訳ではないので、ここでは「喫茶店でそんな話をしたのね」くらいの理解にとどめておいて頂けるとありがたいです。

 

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で、この話を踏まえて岸さんは、

「僕は必ずしもみんなが分人化していくとは思わないんだよね」

と言っていました。

 

かつては岸さんも、「仕事をしている時の自分」「家族でいる時の自分」「友達と飲んでいる時の自分」と、いくつかの分人を使い分けていたそうです。

なんだけど、ある時人と話していて、

「あれ、岸本さん、前にあった時となんか印象違いますね」

と言われてしまったらしい。

要は、自分を使い分けて人と接していると、「この人と前に会った時はどの自分で話していたのか」がわからなくなってしまうんだとか。

 

そんな経験もあって、岸さんは分人化するのはもう辞めていて、

「自分を作り込むと後々ストレスになるし」

「木津くんもあまり無理しない方がいいと思うよ」

と話していました。

 

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この話を聞いて僕が思い出したのが、以前鳥井さんが書かれていたこちらの記事です。

参照:出会いで飾らないこと。(外部リンク)

ツイートの引用部分にもある通り、飾らないことが当然であるという共通認識を持つことが、「心地よい働き方」あるいは「自分らしい働き方」に繋がっていくんだろうなあと、改めて思った。

 

一方で、「飾らない自分でいて良い」という上司の下について初めて、飾らない自分でいることの難しさも感じています。

特別着飾ろうという意識を持っていなくとも、無意識のうちに普段よりも背筋を伸ばしてしまう自分がいる。

「飾らない自分でいること」は、環境によって許されているだけではなくて、自分自身が相当これを意識していないと実装できないんだなと知りました。

 

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この「飾らない自分でいること」は、今後しばらく自分のテーマになりそうだなと思っています。

(終)

今週登壇するイベントの予習。

今週は、ありがたいことに2本のイベントに登壇させていただきます。

 

「移動生活」 と、「地域との関わり方」。

どちらも『居候男子』として活動してきた自分にとって、かなりコアな部分にある内容です。

 

同時に、『居候男子』としての活動に一区切りを付けた自分としては、

「1年半の活動で考えたことを清算するイベントになるのかな。」

と思っています。

 

ここではイベントの予習的な意味合いも兼ねて、「移動生活」と「地域との関わり方」という2つのテーマについて、僕が特に言及したい内容について簡単に触れていきます。

(…と思ったんですが、「移動生活」について書き始めたら思ったよりも長くなってしまったので、「地域との関わり方」についてはまた別の機会に書きます。)

 

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そんな訳で、移動生活について。

 

大前提として僕は、移動そのものはあまり好きではありません。

参考:僕は移動が好きじゃない

移動にかかる費用的な部分を見ても、身体にかかる負荷的な部分を見ても、基本的には少しでも移動を減らしたいと思っている。

実際僕の移動はせいぜい1ヶ月に1回程度で、移動の際の持ち物も他のアドレスホッパーの方たちに比べると圧倒的に多いです。

便宜上「移動生活をしています」と言ってしまうことは多いけど、自分の意識としては、「多拠点生活をしている」と言った方が近いなと。

 

その上で、どうして僕が月一引越し生活を続けたかというと、一つの拠点に長くいすぎない方が、メンタルが安定したからです。

逆に一つの拠点に長くいすぎると、所有物の増加に伴い精神の軽やかさが失われたり、外部環境からの刺激が減って感性が鈍くなったりする感覚がありました。

参考:移動しない生活にデメリットを感じるという話

参考:そもそも人は移動したいのか?移動したくないのか?

もちろん個人としてのブランディング的な側面も少なからず(というかかなり)あったけど、それを除いても、積極的に移動生活を「辞めたい」と思う理由はほぼなかったかなあと思っています。

 

そんな僕が、月一引越し生活を続ける中で違和感として感じていたのが、「多くの人にとって、『移動生活』がものすごく特別な暮らし方として扱われていた」ということ。

「いつか僕も旅をしながら暮らしたいんです!」

という風に、ある種の憧れの目を向けられたこともあったし、

「どうしてそんな奇妙な生活をしているんですか?」

という風に、好奇の目を向けられることもしばしばありました。

(当たり前っちゃ当たり前だけど。)

 

そして移動生活が「特別な暮らし方」として扱われすぎたからこそ、「”始めること”に話題の頂点がきてしまう」節が若干あって、その暮らしを快適に継続させるための方法論はあまり知れ渡っていないなと感じていました。

 

そんな文脈から出てきたのが、以下のツイートです。

移動生活を「特別なもの」にしないために、”平常”を維持する自己管理が大切だよ、という話。

逆にそこがしっかりしていれば、定住生活と意外と変わらない部分も多いなと思っています。

 

このツイートに共感してくださったヨハクデザインさん(@yohakudesign)とリプライで盛り上がり、今回のイベントを開催することになりました。

 

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あまり上手く纏まりませんでしたが、長くなってしまったので今日はここまで。

「移動生活」や「地域との関わり方」にご興味がある方は、ぜひ当日会場に遊びに来てください。

「移動生活」のイベント:多拠点健康診断 〜あなたは移動生活についてこれるか?!実践者のリアル座談会〜

「地域との関わり方」のイベント:地域に入り込んで暮らす楽しさとは?? ~地域と繋がるキッカケ交流会~

(終)

終わりに

以上です。

金曜から風邪を引いてしまっていて、金土と散々寝たらだいぶ良くなったんですが、念の為今日もこれから寝ます(これを書いている「今日」は日曜です)。

また来てね!