こんにちは。
木津(@ayumukizu)です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
『居候男子』という肩書きで活動している僕は、およそ1ヶ月ごとに引越しをしながら各地を転々とする暮らしをしています。
10/13からは、福井県鯖江市にきてる。あれよあれよと4週目。
福井県越前市で宅飲みしてます。
福井での生活も、あれよあれよと4週目。友達増えて嬉しいです。#居候男子鯖江 pic.twitter.com/5UY5PKjMzY
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) November 8, 2019
ちなみに鯖江滞在は普段より少し期間が長く、11/27までのおよそ6週間滞在する予定です。
また週末は、岐阜県郡上市で開催された「町家オイデナーレ」に行ってきました。
今日は車で岐阜県郡上(ぐじょう)市に向かっています。「町家オイデナーレ」に行く。
“城下町全てがフィールド かつてとあしたが不思議に混ざる 二日間の町家フェス”(公式ガイドより)
岐阜はちゃっかり初上陸だなぁ。
▼町家オイデナーレhttps://t.co/wkRkHoIX9p #居候男子鯖江
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) November 9, 2019
今日は、この1週間で考えたことをつらつら書いていきます。
やや長いですが、見出しごとに内容が完結しているので、見出しを見て気になったものだけ読んでもらえると嬉しいです。
暮らしを語るためのレイヤーとチャネル。他
11/4から11/10までの備忘録です。
週一更新を1ヶ月半続けて考えてること。
ブログの更新を毎日更新から週一更新に変えて1ヶ月半ほど経ったので、今感じていることを少し書きます。
結論からいうと、とても良いです。
最も良いなと思うのは、週に1回その週の振り返りができること。
最近は、その時々考えたことをスマホにさくっとメモしていて、日曜の午後から月曜にかけて、メモしたことをぼんやりと眺めてブログに書くことを決めています。
「ああこんなこと考えてたな」とか、
「ここで言ってることってここで言ってること同じだな」とか、
頭の中がどう散らかっていたのかを俯瞰してみられるので、とても面白いです。
さらにいうと、ツイートよりも気軽な状態でメモする習慣ができたので、「何が言いたいのかまだよくわからないけどなんか可能性を感じること」が、ちゃんとストックされていくので良い。
そしてもう1つ良いな(面白いな)と思うのは、シェアされないことです。
これはあくまで体感の域を出ないんだけど、毎日更新をしていた頃に比べて、週一更新をしている今の方が、”読んでもらっている感じ”がします。
ページビュー数や滞在時間、また週ごとのそれらの数字の変化を見ても、ちゃんと”読んでもらっている感じ”がする。
なんだけど、圧倒的にシェアされません。
RTしてもらうことはあっても、リンクを貼ってツイートされたことは、ここ1ヶ月で1回もない。
ただそれは考えてみれば当然で、1つの記事の中で3つも4つも別の内容を書いているので、めちゃくちゃシェアされにくい設計になっているよなと思います。
なのでこれは週一更新の話っていうよりも、記事構成の話(1週間で考えたことを短編集っぽく詰め込んでる今のスタイルの話)といった方が正しいですね。
これ、正直今の時点では全然うまく言語化できてないんだけど、なかなか面白い話であるような気がしているので、また別の機会にもっとしっかり書くと思います。
とりあえず、自分のことをある程度知っている人に向けて書けている実感があって良い。
(念の為断っておくと、これは決して「みんなもっとシェアしてくれ〜!」って話ではないし、「引き続きシェアしないでね」って話でもないので、「へえ、そうなんだ〜」くらいのふわっとした感じで捉えてください。)
(終)
暮らしを語るためのレイヤーとチャネル。
福井県鯖江市に来て1ヶ月が経って、ここでの暮らしのことを考える機会が増えてきました。
僕と同い年で、僕と同じくらい小難しいことを考えるのが好きな森くん(@moririful)と、車の中でダラダラと話をするのがすごく楽しい。
今後「ここでの暮らし」のことをアレコレと書く機会があるかも知れないので、その前に、前提の部分を少し整理しておきたいと思います。
暮らしを語るにあたっての、レイヤーとチャネルの話です。
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まずはレイヤーの話。
一口に「ここでの暮らし」と言っても、いくつかのレイヤーがあります。
具体的にいうと、「県」や「町」や「家」というように、「ここ」が示す範囲がいくつかある。
今の僕でいうと、
・「福井県」での暮らし
・「鯖江市」での暮らし
・「河和田地区」での暮らし
・「森ハウス」での暮らし
などのレイヤーがあって、それらの暮らしに同時に触れている状態です。
(※ちなみに森ハウスとは、僕がお世話になっている森くんの家の呼称です。福井県鯖江市の東部に位置する、河和田地区にある。)
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次に、チャネルの話。
前述の「ここでの暮らし」は、どのチャネルで見ているかによっても、その様相がかなり変わってきます。
例えば昨年訪れた大阪では、僕は『絆家シェアハウス』というシェアハウスのSNSアンバサダー(広告塔的な役割)をしていました。
そのため、先に述べたレイヤーでいうと、「家」のレイヤーに意識が強く向いていたと思う。
一方、過去に訪れた青森県十和田市や北海道下川町のように、行政関係の方とのやりとりを入り口に現地に足を運ぶと、少なからず行政的な視点でそこでの暮らしを見ることになります。
暮らしを語るレイヤーは、自然と「町」に寄ってくる。
10月からの青森県十和田市行きが正式に決定したでござる。 pic.twitter.com/pmVbPTPvn6
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) September 8, 2018
また僕が『関係人口契約』を結んでいる兵庫県香美町に足を運ぶ際も、十和田や下川と同じように、「町」というレイヤーで暮らしを見ています。
なんだけど、僕がやりとりをしているのは行政の方ではなくNPO法人TUKULUの松岡さん(@matsutoso)なので、十和田や下川よりももう少し民間的な視点で「町」を見ているような気がしています。
…とまあ、なんだかややこしい書き方をしてしまったのですが、要は「暮らしを語るといっても、誰を介して見ているかによって見え方は変わるよね」という話です。
参考:誰を介してその町を見るか
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どうして今こんなことを書いたかというと、今回の鯖江市での暮らしは、レイヤーが色々ありそうな気がしているから。
「福井県」という括りでも、「森ハウス」という括りでも、「河和田地区」という括りでも、語れることが色々ありそう。
「福井県」での暮らしの特徴を、あたかも「鯖江市」での暮らしの特徴であるように語るのは、やっぱりあんまり上手くないよなと思ったので、一旦言語化してみました。
また今回レイヤーがたくさんあるのは、僕にとってのチャネルである森くんが大小様々なレイヤーでキーマンを担っているからなんだろうなあと思ったので、レイヤーの話に合わせてチャネルの話も書きました。
(終)
歴史をもっと勉強したいと思った話。
冒頭で書いた通り、週末は岐阜県郡上市で開催されていた「町家オイデナーレ」に遊びに行ってきました。
この時に考えたことを少し。
イベント会場に設置されていた挨拶文によると、郡上市も今滞在している鯖江市と同じように、ものづくりが盛んな町であるようです。
会場には、革製品をはじめとしたいくつかの工芸品が並べられていました。
その時、ごく自然に疑問に思ったのは、「郡上や鯖江といった北陸エリアは、どうして”ものづくり”が盛んなのだろうか」ということ。
高校時代からずっと理系で、歴史や地理に苦手意識を持っていた僕は、恥ずかしながら地域ごとの特性をほとんど知りません。
北海道も、東北も、関西も、北陸も。
僕は、実際に足を運んで、自分の目で見た範囲での個性しか語ることができない。
これはどういうことかというと、僕がその町から受ける印象が、1つ前の話で書いた「チャネル」に影響されすぎているということです。
そのエリアの歴史や成り立ちを学ぶことで、もう少し相対的に、エリアの特性を語れるようになりたいなと思いました。
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少し話は変わるけど。
月に1回引越しをする生活も、1年半以上も繰り返していると、意識しないと生活が単調になってきてしまうなと感じています。
「知らない土地で、知らない人たちに囲まれて、知らない文化に触れる」
もちろん内容は全く異なるんだけど、全体の構成が似通ってきてしまって、気を抜くと学びが表面的になる。
去年参加したSUSONOのイベントで、写真家の石川直樹さんがおっしゃっていた言葉が、最近ようやく腑に落ちてきたような気がしています。
昨年参加したSUSONOのイベントで、世界を旅する写真家の石川直樹さんに「旅という非日常に飽きないために工夫していることはありますか?」と聞いたら、「旅の回数を重ねるにつれて行き先について事前によく調べるようになった」と仰っていたんだけど、最近やっとその教えを活かせるようになってきた。
— 木津 歩|居候男子 (@ayumukizu) October 23, 2019
(終)
自分のことを話せない。
自分のことを話せない。
人と1対1で話すのは好きだし、飯の時間のちょっとした小話なんかも問題なくできる。
コミュニケーション能力は、特別低い方ではないと思う。
明確なお題が与えられれば、自分の話もある程度はできる。
「今の生活を始めたキッカケ」だとか、
「一番住みやすかったのはどの地域か」だとか、
「お金はどうしてるの」だとか、
その辺りの”よくある質問”に関しては、ほどほどの長さでスラスラと答えられる。
この「ほどほどの長さ」というのが実はポイントで、話していて自分の中での”ほどほどの長さ”を超えると、途端に喋れなくなってしまう。
「ごめん俺話しすぎてるね」と言って、話すのをやめる。
だいたいの場合、「いいよもっと続けてよ」と言ってもらえるから続けるんだけど、一度自分にストップをかけてしまうと、もう話せない。
内容を6割くらいカットして、ごく簡単に話す。
ちなみに、「今後どうしていきたいとかあるの」みたいな、話し始める前から”ほどほどの長さ”を超えることが目に見えている問いを投げかけられると、
「まあ、なんか色々考えてるよ」
というふうに、適当に誤魔化してしまうことが多い。
でも本当に、結構色々考えている方だとは思う。
良くないなとは思うけど、悪気はない。
話す気がないのではなくて、まじで話せないだけなんです。
なんだけど、こういう態度を取っていると、相手に心を開いていないように見えたり、あるいは何も考えていないように見えたりする、らしい。
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…と、ここまで書いたのが10日の夜。今は11日の昼です。
深夜のテンションでなんとなく書き始めたんだけど、この「自分のことを話せない」問題は、意外と根が深いような気がしています。
関係性の近しい人からほど、「もっと話してくれないとわからない」と言われる。
かなり高確率で言われるし、なんなら結構怒られる。
前々から僕は、「人に興味がない人が好き」だと言っているんだけど、もしかしたらこれも、自分のことを聞かれるのが苦手な気持ちの裏返しなのかもしれないなと思いました。
(終)
終わりに
以上です。
昨日の夕方からどうも体調が良くなくて、まあまあしんどいです。
週一更新の悪いところを上げるとすれば、書くと決めた日にコンディションが悪いと結構苦しいってことかも。
急に寒くなってきたので、みなさんも身体に気をつけてください。暗
また来てね!